なぜトランプ主義者たちは事実を軽視する大統領に熱狂するのか ――ターリ・シャーロット(2019)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(訳:上原直子)白揚社
COVID-19の世界的流行を人々が目の当たりにする中、多くの人が疑問に思っていることがある。なぜアメリカのトランプ大統領は頑ななまでにマスクをしないのか。そして、なぜ頑ななまでに新型コロナウイルスの威力を軽視するのか、である。そしてなぜトランプ主義者たちは、そうしたトランプの振る舞いに熱狂し、彼を支持するのか。
もちろん日本でもマスクをするしない、あるいは消毒をどの程度行うかなど、新型コロナウイルスに対するアプローチは人によって様々であるし、一部の過剰な行動は一種のイデオロギー的要素も持っていたりする。アメリカの場合、マスクをするしないで支持政党がくっきりと分かれてしまうので、イデオロギーがダイレクトに政治に繋がってしまっていることを考えると、日本はまだマイルドかもしれない。いずれにしても、蓄積されてきた新型コロナウイルスについてのエビデンスとは無関係なまま、イデオロギーの先鋭化だけが進んでいっているようにも見える。
余談が続いたが本題に戻しつつ結論を先取りすると、人間は事実を正しく評価することに向いていない生き物だから、というのがシャーロットの立場だ。なぜならば、人間は他人の影響を受けやすいからである。シャーロットによれば、たった一人の人間が多くの人に影響を与えることもある。
シャーロットが本書で分かりやすく提示した実験結果は、ネット上のレビューの操作である。レビューを実験的に操作し、あえて画面の先頭に高評価なレビューを表示させたところ、後に続くレビューは高評価のものが続いたとのことだ。これはトランプのようなそもそも影響力の大きい人の影響ではなく、ただ単に最初に見た情報に影響を受けがちであることを示している。
本書では神経科学的な立場から、人間の影響を受けやすさについて様々な観点から話題を提示していく。扱っているトピックは行動経済学のそれに近いものがあるが、実験の方法やエビデンスの提示の仕方を見ているとサイエンスによった立場だなと感じられる。たとえばラット二頭の脳をつなぐ実験を行ったあと、人間二人の脳をつないだときの脳内の反応と実際の行動へのアウトプットを検証する実験は、面白いけれど少し恐ろしくも思える。
先程書いたように、人間は事実を、情報を適切に評価、解釈することが苦手である。これはIQの高低に関わらず、誰であっても他人の影響を受けてしまうという前提が覆らない限りは変わらない。では、こうした意思決定プロセスの欠点を克服するために、そもそも意思決定のシステム自体を変えてしまえばよいのでは?というアプローチがアニメ『PSYCO-PASS』のシビュラシステムであり、伊藤計劃の『ハーモニー』でミァハが構想したシステムであるとも言えよう。
しかし、こうしたシステムはいずれも「確実性の高い判断」と引き換えに、人権や人間らしさを喪失する。人間らしさの中には、酒やタバコやドラッグを嗜むといった、愚行権も含まれる。人間は欲や脳内報酬に従って生きる、とだらしなくどうしようもない存在になりうるが、しかしそうした行動こそが人間の人間らしさでもあり、機械やコンピュータとは異なる有機性なのかもしれない。
人間が人間として生きる以上、無謬性とは距離をとった生き方が必要なのだろう。何度も書いたように、人間は事実を適切に評価できず、しばしば間違うからである。しかしそこから反省が生まれ、議論や対話が生まれることもある。こうした試行錯誤やコミュニケーションの繰り返しは、機械学習といった形でコンピュータに還元されているものでもあると言えるだろう。
また、たとえばAIの6億手計算しなければたどり着けなかった解に藤井聡太が時間の限られた対局時間内に到達できたのは、脳内における試行錯誤や情報の取捨選択のプロセスがAIとは異なるシステムを持っていたからだ。このエピソードから私が感じたのは、人間の可能性を容易に手放さないほうがいいのではないかということだ。
藤井聡太ももちろん完璧な棋士ではない。彼の場合、盤上での中盤の読みがまだまだ弱いとされている。しかし、そうした弱点を試行錯誤の繰り返しで少しずつ克服するのが人間であるとも言えるし、事実2020年春の自粛期間中のトレーニングによって以前よりも中盤の弱さを克服しつつあるともいわれている。彼の思い描くプロセスや帰結がコンピュータと違ったものであるのならば、違いを否定するのではなくむしろ尊重したほうが良い。こうした多様性を尊重したほうが、コンピュータも、人間もそれぞれの形で前進することができるのではないか。
最後はやや話がそれたが、シャーロットが前著で提示した「脳は楽観的」というシステムをさらに深堀りした結果が本書の成果なのだろう。楽観は危険でもあるが、楽観だからこそ得られるものも大きい。欠点を少しずつ克服するためにも、ポジティブな情報を信じたい。なぜならば人間はネガティブな情報を忌避し(行動経済学で言うところの「損失回避」)、ポジティブな情報をより求める生き物だからである。
であるならば、その特性を人間のより人間らしい発展へ向けられるかもしれない。少なくとも、いままさに最も重要な局面を迎えつつあるトランプ現象をより冷静に、客観的に解釈するためにも、本書は絶好の一冊である。大統領選挙の投票日まで、あと二週間だ。
[2020.10.18]