本書の帯グラビアのモデルでもあり、本書の中にも一章分の分量を割いて登場している「民主の女神」こと周庭(アグネス・チョウ)のツイッターの投稿で本書のことを知り、それ以外深い考えもなく読んでみようと思った。一読して思ったのは、新書のような気軽に手に取りやすいメディアとしては、2019年の香港デモの裏側(背景)と内側(実態)を子細に観察した良書だということだ。
なぜそう感じたかというと、日本の香港デモ報道を昨年追っていてもあまりにもその内実が見えてこないからである。デモ隊の学生たちや多くの一般市民と、香港の行政側(背後には中国がいる)との対立だけがクローズアップされ、次第にデモ隊の暴走も報じられるようにはなるがそれも内実(なぜなのか?)には触れずに表に見えるものだけを報道する姿勢には不満があった。周庭自身は彼女の言葉で積極的に日本のマスメディアやソーシャルメディアのフォロワーとコミュニケーションをとっており、渡航禁止が出るまでは来日も頻繁に行い、日本語で長時間の記者会見を開くこともあった。その彼女もまた、日本の一部報道に違和感を呈していたことをよく覚えている。
ということで、2019年の香港では一体何が起きていたのか、そしてその背景には一体どのような事情があったのかを概観するには、本書は適切であると言える。逆に言えば、前述したように適切な情報収集のための媒体が国内では限られるのが寂しいところであって、だからこそ日本語でコミュニケーションのとれる周庭の発言が日本では大きく取り上げられるようにも思う。もちろんそれは一端でしかない(一端としてもちろん重要ではある)こともよく分かっていて周庭は発言しているから、彼女の言葉を素朴に受け止めすぎるのもよくないかもしれない。(あくまで彼女の一ファンとしては、彼女の活動を全面的に応援したいと思っている)
したがって、まず2014年の雨傘革命、そして彼らの頭の中にあったひまわり学生運動(台湾)との関係性であるとか、日本では異質なものとして登場し、一瞬で過ぎ去ったかに見えるSEALDsの存在もあえて取り上げる本書の意味合いは大きい。2019年の大規模な衝突の連続に至るまでにいくつもの糸が絡み合いながらつながっている。
2014年や2019年の香港が直面していた問題は、同じく対中国or親中国として政治や行政を組み立てて来た台湾にも共通する部分が多いことが(そしてそれが自明ではなく闘争の結果勝ちえたものであることも)本書を読むと概観することができる。台湾には台湾の固有の事情があるはずで、その点について多くは触れられたはいないまでも、改めて台湾と香港のつながりを意識することは重要だ。戦略的互恵関係と言えるかもしれないその関係は、今後も続いていくのだろう。
個人的に面白かったのは香港のオタクがデモで果たした活躍の数々をレポートしていることだ。周庭自身がその代表でもあると言えるが(彼女が日本語を学んだきっかけとしてアニメやアイドルの存在が大きい)、周庭以外にも多くのオタクたちがデモの現場にはいたこと。『コードギアス』的にカリスマ的なリーダーに従っていた2014年のこと、『進撃の巨人』的に巨大すぎる存在(中国)に対して立体起動装置ならぬ個々の活動家が白兵戦やハイテク戦で数の力で応戦したこと。
周庭が「日本のアニメやマンガは、自分たちを抑圧する大きな敵に対して、反抗する物語が多いのに、なぜ、日本では社会運動が起こらないのですか?」(p.178)と素朴な疑問を呈しているが、確かに日本のサブカルチャーは「努力・友情・勝利」をテーゼとする少年ジャンプ作品など、バトル物の傑作が数多く存在する。日本のオタクが政治と距離をとっているのは(一部のネトウヨを除いて)それも含めて一種の日本の政治文化と言えるが、逆に先ほど書いたように政治も行政も対中国という構図をとる香港の政治文化には、それこそ『進撃の巨人』のような抵抗の物語は受け入れられやすいのだろう。日本の政治文化を脱文脈化して香港の政治文化にサブカルチャーが輸入される過程は、なるほど思った以上にダイナミックである。
香港はとても小さい国だ。そして中国は大きすぎる存在である。だからこそ台湾や日本のような、香港にとって親和的な国の存在はきっとこれからも重要になってゆくのだろう。小さいけれども重要な隣国の抱える事情を、本書を通じていま一度知ることができたのは良いものだった。そしてCOVID-19下の社会というニューノーマルを乗り越えてもまだ香港の抱える困難は続いていくのだろう。でもそこには絶望だけでなく、希望も確かに存在している。
[2020.5.20]