ケアの倫理で紡がれるグルメ小説 ――原田ひ香(2017)『ランチ酒』祥伝社

バーニング
4 min readNov 26, 2020

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原田ひ香は文芸誌での短編を読んだことはあるが、本として読むのは今回が初めて。文庫が新刊コーナーに並んでいたタイミングで見つけ、「見守り屋という稼業を終えたあとのランチ酒を楽しむバツイチアラサー」という設定に興味を持った。ランチ酒というコンセプトは下戸ではない孤独のグルメ感があって面白いと思ったし、「見守り屋」という稼業も個人的に気になったからだ。(一人のケアワーカーとして)

連作短編という形で、15本のお話が収められている。一つ一つの話の中のすべてに「見守り屋」の仕事が登場するわけではないが、毎回ランチは登場する。ゆえに各章のタイトルが、丸の内、中野坂上、といった形で主に東京の地名が振ってある。主に、というのは出張先の大阪であったり、仕事ではない外出の房総であったり、東京でない地域も含むからだ。だからあくまで本書のメインはお仕事ものではなく、主人公である犬森祥子(大森ではない)の生活や人生を描くところにあるのだと思う。

幼馴染が起業したことで誘われ、祥子が就くことになった「見守り屋」という稼業は一種の隙間産業である。高齢者であったり、幼い子どもであったり、ペットであったり(いぬもり、だけに)あるいはクライアントの話し相手としてであったり、夜間の22時から5時の間に「見守り」が必要な時に単発で稼働していく仕事だ。

作中の中でどれだけ需要があってどの程度の収入になっているのかについては詳しく描写されないものの、東京という24時間誰かが動いている街であれば行政や福祉が応えられない一定の需要が存在するのも確かだろう。この仕事自体はビジネスなのでクライアントは実費負担をしているようだが、祥子とクライアントのやり取りを読んでいるとそこに存在するのはケアの倫理である。

祥子がクライアントの依頼に応え、その担当(子どもなど)を「見守る」という行為自体が、仮に彼女が本当に何もしなくてもケアの倫理に支えられている。もちろん本当に何もしなければ小説にはならないし、つい口が滑って思っていることを吐き出して、クライアントと対立してしまうところもある。でもこうしたやり取りも含めて、明確な答えがなく、「誰かとの関わり方」を模索する中で生まれるものである。(他方、全員が援助を必要としているクライアントではないので対人援助、とは少し違うかもしれない。雇い主の亀山も、この仕事は介護ではないし介護をするわけではないとはっきり明言している)

祥子の「見守り」によって癒されるのはその相手だけではない。20代前半で妊娠、結婚、出産をし、そして離婚を経験している彼女もまた、心の内で癒しを必要としている存在だ。彼女は仕事をする中でその心の内を吐露する場面も珍しくない。ケアをする/されるという行為は常に相互作用的であるということが、祥子の言動一つ一つを追っていると具体的に実感することができる。

そして彼女がもっとも癒される瞬間が、タイトルになっている「ランチ酒」の瞬間だ。孤独のグルメの井之頭五郎よろしく、一人になることのできる特別な瞬間である。周囲に午前の仕事を終えたサラリーマンたちもいる中、夜の仕事を終えた祥子はランチ酒を囲みながら内省も行う。そこには一日の区切りと、未来への不安と期待がよく表れている。

クライアントの存在も含めて、東京という街で展開される物語としては非常に等身大だ。誰もが癒しを必要としているし、逆に誰かを癒したいとも思っている。もちろん常にやさしさに囲まれているわけではないにしても、地方出身である祥子は自分とその周辺にあるものを一つずつ大事に抱えながら、現代の東京を生き延びようとしている存在だ。そうしたリアリティこそが、本作の持ち味であるケアの倫理と食事による癒しの瞬間の描写を魅力的にすることにつながっていると言えるだろう。

[2020.11.26]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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