最初に川野芽生を読んだのは2019年に刊行されたデビュー歌集『Lilith』だった。幻想的でファンタジックな装丁だけを見るとこれは本当に歌集なのだろうかと思ったほどだが、短歌というわずか17文字の世界でそうした世界観を表出する川野の歌のスタイルを知り、この装丁でしかありえなかったのだろうと思ったのが当初の印象である。
それ以外だと『ねむらない樹』vo.4での「短歌とジェンダー座談会」を読んだ程度だが、いずれにしても川野芽生は歌人だという認識だった。だがデビュー小説集である本書を読み、小説もまた凄まじいものを書く人だなと、正直おそれいった。
順番が前後するが、巻末に収録されている書き下ろし中編「卒業の終わり」が圧巻である。一般社会から隔絶された女学園で18歳までほとんど無菌状態で育てられた少女たちが、18歳の卒業を機に社会に「出荷」されてゆく。そして社会に出た元少女たちの多くは、25歳までに亡くなる。物語が動くのは後半だが、あえて長い前半部分(女学園での生活)を用意することで「政策的に作られた女同士のファンタジーとノスタルジー」の苦みを読者にもたらしていると思う。
物語の結末を知った後だと、女学園の中での生活はあまりにも苦くて邪悪に見える。ただ同時に、閉ざされた世界での平穏がもたらす生の美しさ(醜さも)を強調することで、男性中心主義・異性愛主義的な社会への抵抗をも示している。この対比の書き方が見事だった。
つまり、女性だけの世界の美しさをファンタジックに描くだけでなく、女性だけの世界の構築と維持に対する執念を書く。これこそが、異性愛主義的な社会のマジョリティ(竹村和子の言う「ヘテロセクシズム」 )への抵抗なのである。それはこの物語の結末に語られる明快な「スピーチ」を踏まえるまでもなく、よく分かる。同時に、戦後第二次フェミニズムの歴史ともリンクするかもしれない。
他方で表題作である「無垢なる花たちのユートピア」は男たちの世界を描いたユートピアであり、ディストピアだ。この小説でも楽園を目指す男たちの集団とホモソーシャル的な絆が称揚される一方で、一人また一人と仲間を失う経緯が描かれる。なぜ排除される人がいるのか、なぜ自分はそうではなかったのか。「卒業の終わり」もそうだが、この中編も叙述トリック的なミステリー構造を持っている。
意外にも男性性や女性性について書かれる小説はあれど、ジェンダーニュートラルなキャラクターは本書にはまだ登場しない。その代わりに登場するのが人形や、竜である。人ならざる者、異形の導入だ。これらの人ならざる者と人との関係性を書くことで、人間とは何か、人間的であるとは何かを突き詰めようとしている。異形を導入した短編だと、これもいくらかミステリー構造を持っている往復書簡小説の「白昼夢通信」が個人的には白眉だと感じた。
ミステリー、ファンタジー、幻想。『早稲田短歌』50号のロングインタビューの中では彼女の読書歴が明かされているが、少女小説やファンタジーに加え、ロシア文学やラテンアメリカ文学を横断している様子が伺える。ジャンルを越境しながら書きたいものを書き、社会のマジョリティに対する告発を巧みに用意する。本書はそんな川野芽生にとっては自己紹介的な、名刺代わりになるような小説集だ。それもとても魅力的で魅惑的な、力強い自己紹介である。
[2025.1.22]