テクノロジーと人が共存していくために成すべきことは ――郝景芳(2021)『人之彼岸』(訳)立原透耶・浅田雅美、早川書房

バーニング
Mar 16, 2021

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エッセイ2本と中短編小説6本という、小説家の書いた本としては珍しいグルーピングな一冊だが、SF作家なら違和感なく受け入れられるかもしれない。日本でも瀬名秀明然り、円城塔然り、理工系の学位を持つSF作家たちは、その科学的知見から育まれた思想や構想を遺憾なく小説に取り入れるし、小説以外の方法でも発信をしている。そんなわけで、物理学修士、経済学博士という文理の枠を超えたなかなかのエリートである小説家の郝景芳にとっても、そうした手法(小説と小説以外の方法を同時に試みること)は馴染みのあるものとも言えるだろう。

エッセイ2本はそれぞれ「スーパー人工知能まであとどのくらい」「人工知能の時代にいかに学ぶか」と題されている。おそらく前者の翻訳はエリザベス・ムーンの小説「くらやみの速さはどのくらい」をもじったタイトルだと思われる(原題がどうなのか翻訳がそうなのかは分からないが)。いずれにせよ、これらのエッセイには相互作用があって、前者を読んでこそ後者のエッセイの主張が生きるし、後者のエッセイを読んだ上でAIと人間の情報処理の差異について基礎づけ的な議論をしている前者のエッセイを読むことに価値があるように思える。

1本目のエッセイは前述したように人間とAIの情報処理の差異について細かく丁寧に説明したものだ。これ自体が一つの論文のようにも見えるほど隙のない堅実な議論を行っているのが面白い。先ほど情報処理と書いたがこれもやや不案内な表現で、知覚や認知といった生物学的、心理学的側面から深く掘り下げた上で情報処理やそこから生まれる意思決定について記述している。

たとえば価値判断の基準を単独で持つことはないAIに対して、人間は常識という強固な価値を共有している。常識とは時代ごとに移ろうし、文化的にも差異がある複雑な価値だが、人間はそうした複雑なものを日常生活を実践したり子ども時代に教育を受けたりする中で身に着け、内面化する。AIにも機械学習やディープラーニングのような「教育」的手法は取り入れられているとは言え、人間と同じように情報を受け取るわけではない。

郝景芳がこのエッセイで書いていることについて細かく議論していくと終わりが見えないのでこのあたりで省略するが、1本目のエッセイで彼女が結語として記している数本の文が、彼女の思想のほとんどすべてを凝縮したものになっているのではないかと感じる。引用しよう。

もし私たちが視線によるコミュニケーションを止め、データに含まれない感情を理解できず、人生には利益の最適化よりも重要な意味があると思わず、偉大なアーティストによる衝撃を感じられなくなったとしたら、私たちは万物の霊長であるとは言えず、その地位を恭しく人工知能に譲り渡すことになる。

いかなる種も私たちの精神世界を破壊することはできない、私たち自身が放棄しないかぎりは。

それだけだ、私が未来に関して唯一心配していることは。

(p.70)

以上を踏まえた郝景芳の思想から導かれるシンプルなテーゼは次の通りである。つまり、人間の人間らしさを失ってはいけないということだ。そしてここから、失わないためにいかに子どもたちを教育したらよいのかが導かれる(2本目のエッセイの主題である)。もちろん学ぶべきは大人も同様ではあるが、より長くこれからの時代を生きていくことになる子どもたちに主眼が置かれているのは、実際の社会活動として教育活動を熱心に行っている郝景芳らしい視点だ。

エッセイ2本に続く6つの小説はこれもまた多彩だ。不死や愛、神との対話……などなど、進化したAIが日常化する時代に人々がどのように生きていて、どのように生きていくべきかといった問いが、フィクションの形を借りることで実践的かつ多様な形で展開されている。

SF小説の優れたところは、まだ現実の人々が目にしていない未来について、具体的にイメージすることができる点だ。もちろん想像した未来が常に実現するわけではないから、すべてが仮想の中だと言えなくもない。だが、仮想だからこそ作家たちは各々のイメージする未来像を自由に表現する。それは、郝景芳が破壊してはならないと述べた精神世界の具現化だと言ってもよいだろう。

物理や経済学の学位を持つ彼女が「アーティストによる衝撃」を重んじてくれることが読者の一人としてはこの上なく喜ばしいし、彼女の活動そのものが、これからの時代を生きていく上での一つの実践解なのではないかと、強く感じられる一冊だった。

[2021.3.16]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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