ヒュパティアの正当な評価の方法とジェンダーの視点――エドワード・J・ワッツ(2022)『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』(訳)中西恭子、白水社

--

西洋古代史にはあまり明るくないため、かつてのアレクサンドリアにヒュパティアという哲学者がいたことを本書の刊行によって初めて知った。学者の家庭に生まれたヒュパティアは、この時代の女性としてはかなり珍しく、早いうちから教養を授けられる。学問をする大多数は男性であり、それ以外のほとんどの人や女性は読み書きできればそれでよいといった時代の都市で、学者としての才能をめきめき発揮していく。

彼女はやがて教師となり、多くの教え子を抱える。その中で男子学生から恋愛感情を持たれることもあったようだが、一貫して処女性を貫いたことで結果的に彼女の学問の跡継ぎとなる存在は現れなかったようだ。

ヒュパティアとは果たして何者だったのか。なぜ彼女は志半ばで死ななければならなかったのか。冒頭でワッツが述べているのは以下のとおりである。

ヒュパティアは当時の宗教的な対立の中で悲劇的な死を遂げてしまう。彼女の死については諸説あるようで、本書でも第8章「路上の殺人」において彼女の死がこれまでどのように記述されてきたかをレビューしているが、彼女の死はまず「アレクサンドリアの知的生活が漂流」(p.154)するきっかけを作ったようだ。彼女の才覚が優れていたがゆえに、追随する学者がおらず、同時代のアテナイ学派の影響力の大きさに隠れてしまう。

その死においては、ヒュパティアは数々の正当な正義のために力強い象徴となってきた。しかし、生前彼女が闘ったのは、そのうちのわずかのためにすぎなかった。彼女はむしろ、通常は男性が支配する場所に出入りし、通常男性が唱えてきた思想を教え、通常は男性によって独占されてきた権威を行使した、才能ある哲学者である。どれも先例がないわけではないが、ヒュパティアの同時代の女性で試みた人はいない。ヒュパティアはそれをやった。しかもどれもみごとにやりとげた。駆け出しの哲学者であったころ、彼女の作品によって彼女の生きた都市における知の力学は再定義された。後年、大成してからは、伝統的多神教徒とキリスト教徒双方の共同体のあいだに信頼と協力を保とうと苦闘する都市に、平和と善政をもたらす影響力を担った。(p.14)

第7章「ヒュパティアの姉妹たち」で触れられているように同時代に知識人として記録の残る女性の教師や学者は何名かは存在する。生まれた家庭の環境など、ヒュパティアと似ている部分もあるようだ。とはいえ、記録の分厚さや残した痕跡を振り返ると際立つのがヒュパティアであるということ、そして前述した死ゆえに、「象徴」として後々語り継がれているということは特筆すべきなのだろう。この後世の語りに対しては功罪があることも、ワッツは繰り返し指摘している。例えば第10章「近代の象徴」ではフランスの哲学者、ヴォルテールのヒュパティアへの言及をワッツは厳しく批判している。(pp.183–184)

ヴォルテールのように、ヒュパティアに対して無神経な表現で言及をしたり、彼女の功績を正当に評価しない人間を「彼女を殺す過激派」(p.194)と称してやはり厳しく批判している。「彼女の生の意義を低く評価すること」(p.194)を避けるべきだからだ。他方で、ジェンダーへの言及もおろそかにしない、2009年の映画『アレクサンドリア』には一定の評価を与えている。とはいえ様々な翻案や現代的なメッセージを含むことから、この映画がヒュパティアを何らかの象徴として特異的に表現していることも事実だろう。

過去に生きた人間の評価というものは難しいのかもしれない。そこには様々なバイアスや、思いが入ることによって、歪みがちだからだ。「つまり我々は、ヒュパティアを作り上げられた文学的キャラクターとしてではなく、ありのままの人として正当に評価すべきなのである」(p.203)というワッツの主張には意味があるし、本書もその評価の一部なのだろう。これまでの様々な評価の蓄積(先行研究)を概観する中で、正当な評価とはいったいどのようなものかを読者にも考えさせるような構成になっているのが、本書のもっとも重要な特徴かもしれない。

[2022.4.6]

--

--

バーニング
バーニング

Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

No responses yet