本書では、ロシアを理解する上で欠かせない存在となったプーチン大統領にも折に触れて登場を願った。ウラジーミル・プーチンという人物についてはすでに多くの評伝や研究が発表されており、政治家、諜報員、そして個人としての評価には、罵倒から賞賛にいたるまで凄まじい幅がある。筆者はロシア政治そのものの専門家ではないので判断は避けるが、本書で見る限りでも、果たして同一人物かと思うほどに多様なキャラクターを持ち、またあらゆる場所に登場する指導者であることが読み取れよう。
そのことはまた、ロシアという国が「自動操縦」ではなく、多分にプーチン大統領による「手動操縦」に頼っていることをも示している。しかし、「パイロット」であるプーチンはいつまでも操縦席に座っていられるとは限らず、次のパイロットがプーチンほどの操縦技術を持つとは限らない。しかも、プーチン機長の操縦は近年、荒さが目立つようになり、乗客には不満も募るようになってきた。
ロシアが向かう方向性についてはまだ見えない部分が多い。 ウクライナ危機にどう決着をつけ、危機後の欧州の安全保障秩序をどのように再編するのか、米国との関係は冷え込んだままなのか、中国及び日本との三角関係はどうなるのか、など不確定要素があまりにも多い。エネルギー価格の動向もロシアの行く末を大きく左右するはずだが、これについても純粋に経済的なファクターに加えて、イランの国際社会復帰や中東全体の安全保障秩序など、政治・安全保障のファクターが無視できない。
ただ、現在起こっていることを見定めておくことは、混沌とした将来を考える上での取っ掛かり程度にはなろう。本書がその一助となるのであれば幸いである。(本書「おわりに」、pp.326–327.)
本書は2016年に刊行された、小泉悠の2冊目の単著である。ロシアの軍事戦略を専門とする小泉は約一年前に勃発したウクライナ戦争以降、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ネットなどの各メディアに出ずっぱりになっているが、小泉がこの引用部分に記述した懸念の多くが噴出したのが2022年以降の世界情勢だとも言える。
ウクライナとの関係は2014年のクリミア編入以降は非常に難しい状況になったが、2022年までの間にロシアとその周辺に何が起きていて、プーチンは何を考えていたのかを知るために本書を読んでみたわけだが、少し前のプーチンの「戦略」を知る上では価値のある一冊となっている。
例えば第1章「プーチンの対NATO政策」や第2章「ウクライナ紛争とロシア」は2022年以降の世界にダイレクトに繋がる章である。NATOに対してロシアが軍事的な劣勢を利用して行っている非対称戦略を、ウクライナに対してはクリミアの電撃的な占領と、ドンバス地方における紛争(廣瀬陽子がよく議論している「未承認国家」としてこの地方を利用する紛争でもある)を通して「ロシア的なハイブリッド戦争」を理解することができる。
それ以外にも旧ソ連諸国との複雑な関係を象徴する同盟CSTOについて(第4章)や日本や中国といったアジアとの関係(第5章)を記した章、つまり周辺諸国との関係性を知ることも重要である。まずプーチンの頭の中にはロシアはヨーロッパであるという意識があり、「その一員として復帰することがロシア再生の必須条件である」(p.40)と考えている。同時に、「ロシアはアジアでもある」という意識もある。
ロシアの極東部は国土の36%を占めている(p.178)し、成熟国家ゆえに低成長の先進国が多いヨーロッパとは異なり、毎年高い経済成長率を見せている中国との関係性はロシア経済にとっても非常に価値を持つ。ウクライナ戦争においては中国の後方支援ともとれるような政治的態度も見られるため(とはいえ現実は複雑な関係になっているが)、今日的にも中国との関係は政治・経済の両面で切り離せなくなっている。
そのほか、多宗教国家ゆえのポリティクスを読解する第6章や、クレムリン内部の権力闘争や政治的関係を紐解く第7章、さらには厳しい現実を多く抱えるロシアの宇宙戦略を分析した第8章など、本書は一冊を通してロシアの、そしてプーチンの「戦略」の幅広い部分を理解することができる。
直接的に2022年以降の世界に関係する章は先ほど述べたように多くはないが、ウクライナ戦争においてもロシアという国家を「手動操縦」しているプーチンの脳内を多方面から読み解く作業には価値があることが分かる一冊である。
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[2023.2.11]