1980年代生まれの韓国の作家、例えばキム・エラン、キム・ヘジン、チェ・ウニョンなどをこれまでに読んできているが、その中でも邦訳書としては初めて日本に紹介されたパク・ソルメ(1985年生)の本書は、彼女の個性と実力を十分に見せつける珠玉の一冊となっている。訳者の斎藤真理子が編んだオリジナルの短編集のようで、2010年以降に発表されたものをまとめている。結果的に、一種のベストアルバムのような形になっているとも言える。
あくまで本書の印象ではあるが、パク・ソルメの小説の特徴を挙げるとすると、不正義に対する個人の感情に対して強い関心を持っていることだろう。衝撃的でありながら抽象的でもある「そのとき俺がなんて言ったか」はカラオケを歌っていた女性が侵入してきた男性に暴力を振るわれるという筋書きだ。それが単なる身体的な暴力だけでなく、心理的な抑圧の次元の暴力をも同時に描写することで、「男による女への抑圧」を表現している。
おそらくこの短編と、表題作でもある「もう死んでいる十二人の女たちと」はセットで読まれるべきなのだろう。その意味で、最初と最後に配置することによってどちらも強い印象を残すフェミニズム小説、という解釈が可能になる。「もう死んでいる十二人の女たち」は性暴力によって殺されてしまった女たちの復習劇であるが、「殺された女たちによる復讐」というこれも抽象的な次元の行為や感情を描くことに注力しており、その試みは小説だからこそ成功している。
表題作の中で「そのとき俺がなんて言ったか」をある意味では引用する形で「オチをつける」展開になっているとも言えるし、実際に起きた事件(江南駅殺人事件やn番部屋事件)を想起させることも狙っているだろう。ただ、小説の中では特定の事件ではなく、あくまで「(過去、多数いたはずの、被害を受けた)女たちの復讐の感情」を演出することによって、多くの女性を精神的に救済することをも狙っているのかもしれない。
パク・ソルメは光州出身らしく、光州事件へ言及する短編もある(「じゃあ、何を歌うんだ」)。また、日本の3.11と並列するような形で2012年に起きた古里原発の事故に対する言及もされている(「冬のまなざし」)。それぞれの小説を読んでいて感じるのは、そうした不正義がまかり通るような事件や事故の記憶を呼び起こすことをしながら、そうした不正義が常に存在する社会に生きる人々の不安を書いているところがパク・ソルメの魅力ではないかと思う。
斎藤は訳者あとがきでパク・ソルメは「歩く小説、旅する物語、移動しながら考えるテキスト」だと表現しているが、前述した「じゃあ、何を歌うんだ」の舞台はサンフランシスコと京都で、韓国ではない。そうした異国の地で思い出す光州の記憶を語ること、聞くことによって、現代を生きる一人の女性の中に宿っている光州を書く、ということを意識しているのだろうと感じた。
こうした表現が作家の自伝的なものかどうかは分からないけれど、過去と現在を繋げるときに、あえて異なる土地にキャラクターを配置させることで彼ら彼女らの感情の揺れ動きや逡巡をも同時に描きやすいのだろうなと感じる。舞台設定だけがすべてではないけれど、移動することで生まれる会話のやりとりを自然に書く能力は、パク・ソルメには間違いなくある。同じく頻繁に移動し、越境するチェ・ウニョンのいくつかの小説を思い出してもよいだろう。
海満という舞台でつながる「海満」と「冬のまなざし」もセットで読んだ方がよさそうだ。裏表というか、繋がっているようで繋がっていないようにも見える二つの小説は、都市部から少し離れた場所で、短い時間を生きる若者のリアリティーを描こうとしているのだろうと感じた。
この二つの短編の主人公は「じゃあ、何を歌うんだ」ほど大きな移動はしないものの、海満という舞台を歩いたり、映画を見たり、だらだらしたりといった形で特定の行為が独特の味わいとなって読者に伝わってくる面白さがある。そしてやはりそこでは、人生とか生活について思い悩み、考える人間の姿がある。先ほどチェ・ウニョンの名前を挙げたが、この二つの短編を読んでいるとあるいは、柴崎友香を思い出してもよい。
パク・ソルメの小説をこの中でいくつか読んできて一番特徴的だなと感じたのは、キャラクター個人の個性があえて希薄なところかもしれない。その分、どこにでもいる誰かにも見える。カラオケ屋暴力を振るう男も、女性たちを殺す男も、そうした男たちに被害を受ける女性たちも、どこかにいて、どこにでもいる私たちの一部なのだと。
だからこそ舞台装置がいずれも重要で、小説でしか書けない抽象的なレベルの描写も織り混ぜながら、独特の世界観を作りあげることに成功している。それがパク・ソルメらしさであり、真骨頂なのだろう。アンソロジー『小説版 韓国・フェミニズム・日本』に収録の「水泳する人」も(少しSf的な要素もある)印象的な短編だったが、もっと多くの小説を読んでみたいと思わせるほどの実力を持った書き手の一人だ。
[2022.9.13]