上田岳弘と町屋良平が受賞した回の次点にとどまった本作。選評を読む中ではおおむねどの選考委員も一定の評価をしていたため、上田か町屋のどちらかがいなければもしかしたら二作受賞で、という運びにもなったかもしれない。実際はそうならなかったので仮定の話でしかないが、受賞しなかった理由もわからないでもない。
あらすじとしては静かな語り手をつとめる私と(最初女性かと思いながら読んでいたがのちに男性であることが明かされる。ただ途中までは正直どちらでも読めるように思えた)、異国から日本にやってきた小翠という女性。全編通じて高山らしい「不穏さ」があちこちに漂ってはいるものの、大きな事件が起きることなく進んでいく。ストーリーの大半は、小翠が「初めて一人で住んだ場所」へと再び出向く、その旅路にある。
かつて「居た場所」に一時的に戻るというのが筋書きだが、かといって『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のようにドラマチックな物語はない。けれども、いくつかのミステリーがちりばめられていて、その多くは解かれないまま話は進んでいく。なぜ小翠は地元(出生の地は島だったと言う)ではなく「居た場所」にこだわるのか。知りえない小翠の過去に私は惹かれ、そして訪れた土地にある物物にもまた惹かれていく。
訪れる場所の一つに博物館があるというのがいい。国の名前も土地の名前も明示されていないため、完全に架空の博物館であるが、だからこそここにあらゆるものを高山は配置することができる。もちろん「不穏さ」も。ただ、どちらかというと博物館を配置することによって得られる感覚は浮遊だなと感じた。
それはつまり、私の視点からこの物語が進むことにある。私からするとまったく知らない土地を訪れるわけだが、かといって小翠自身も地元ではないからその土地についての情報を十分持っているわけではない。いわば、私と小翠の間に情報の非対称性が存在し、さらにその上のレイヤーに小翠と土地の人との間にも情報の非対称性が存在するという構図が書かれる。
であるがゆえに、私はどこか居心地が悪いというか、配置される不穏さも相まって地に足のついた状態ではいられない。この独特の浮遊感が非常に面白くて、これもまた高山らしいのかと思った。二人が帰国し、親族に会うシーンが終盤に描かれるがここでは浮遊感はなくなり地に足の着いた、血の通う人間同士の他愛ないやりとりがなされる。高山は浮遊感を上手に使うことで、どこか東南アジアだろうと思われる異国情緒を上手く表現していた。
ただ、おそらくこうした要素がマイナスにも働いたのか、配置される不穏さがただ不穏なままで解明されないところは選評で複数ツッコミを受けていた。ただ個人としてはこれはこれでいいのではないかと思う。明確な何かを明らかにする旅ではないのだから。ただただ、小翠がそこに行きたくて、私も一緒に行きたいと思った。そうした物語の筋を、その派手ではない地味さも含めたあいまいさを好きだと思った。
[2019.10.11]