オーウェル作品の中で日本でポピュラーなのはフィクションだろう。『1984年』や『動物農場』は長い間複数の翻訳で読み継がれている印象があるが、エッセイやノンフィクションも読む価値がある作家だ。もともとが公務員であり、またジャーナリストとしての性格も持っていたことから書かれたいくつかの文章、本作だとインドでの体験を書いた「象を撃つ」やスペイン内戦に実際に乗り込んだ上でルポ化した『カタロニア讃歌』は傑作として名高い。
本作は光文社古典新訳文庫としてオリジナルに編まれた短編集なので、岩波文庫から出版されている『オーウェル評論集』といくらかダブるところがある。ただ訳者が本書で書いてあるように、日本ですぐに手に入るノンフィクションが岩波文庫の前掲書や平凡社の出版物に限られるのは確かで、日常の場面で手に取りやすい一冊として本書が編まれた意義は大きい。
タイトルにも付されている「あなたと原爆」と題された短いエッセイは、1945年の日本への二つの原爆投下をきっかけに書かれている。1950年に亡くなったオーウェルはビキニ環礁での実験も知らないし、アメリカやソ連など大国間の原爆ないし水爆の実験競争の時代も生きてはいない。にもかかわらずこの文章の冒頭は「このさき五年のうちに我々が一人残らずみな原爆で木っ端微塵に吹き飛ばされてしまう可能性が極めて高いことを考えるなら」(p.10)という文章で構成されている。
まだ原子爆弾というものを人類が目にして間もないころにこうした文章を書けるのは、その予見性の凄味を感じる。『1984年』が代表的だが、フィクションにおいて発揮されてきたおそるべき予見性は、エッセイの中にも見えるのだ。こうした国家と科学の歪んだ関係については、続けて収められている「科学とは何か?」と併せて読んでもいいだろう。
つい最近終わったオリンピックと関連して読むと面白いのは「スポーツ精神」だ。このエッセイも短いながら、まだ商業主義化するよりずっと前の、しかしナチスによる1936年のベルリンオリンピックを経験した時代のエッセイとしては時代性と予見性を両方感じさせる。イギリス人らしくサッカーやクリケット、ボクシングなどの競技を例に挙げ、その上でサッカーやボクシングのような戦闘的なスポーツとナショナリズムの相性の良さを批判的に検討している。こうした競技とナショナリズムは「切っても切れない結びつき」(p.44)であるという指摘は、まさにオリンピックが終わったばかりの現代を生きる私たちにも響く指摘だろう。
こうした政治的、社会的な文章以外にも「おいしい一杯の紅茶」というこれもまたイギリス人らしい(やや偏見かもだが)エッセイや、「なぜ書くのか?」という作家論も収められている。詳しく触れなかったが先ほど述べたインドやスペインでの見聞や体験も収められているので、手に取りやすいエッセイとしてはバラエティのある、充実した一冊だと言えるだろう。
●関連エントリー
[2021.8.21]