保守主義と新自由主義の混交の中で生きる私たちのライフスケープ ――平山洋介(2011)『都市の条件 住まい、人生、社会持続』NTT出版

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平山洋介は以前光文社新書から出ている『住宅政策のどこが問題か』を読んで興味を持った研究者だ。住宅政策についての著書を出している政治学者の砂原庸介も平山には言及しており、平山の研究をもう少し読んでみたいと思い、本書を読んだ。2011年刊行の本なので新しいとは言えないが、リーマンショックと3.11を経験した後という意味では現代にも地続きであるし、2022年の今読んだとしてもそう遠くない印象を持った。

本書で重要なのはまず、保守主義と新自由主義の相克だ。この複雑な関係を理解することなしに、日本の住宅政策を理解することはできないというのが平山の議論の核心だと言ってよいだろう。住宅政策における保守主義、いわゆる新築かつ戸建てを重視してきた日本の住宅政策の偏りについては砂原も著書の中で指摘しており、一つの歴史的な制度論として経路依存的に説明するのは説得力があると言える。

新築かつ戸建てを標準としてきた日本の住宅政策は、必然的に中古市場が弱いことは砂原も指摘している。そして重ねて平山が強調するのは、政府が供給する住宅(社会賃貸住宅)の少なさである。欧州諸国と比較してユニタリズム、デュアリズムといった分類(ジム・ケメニー)をとっているが、日本はデュアリズムに属する。民間住宅と社会賃貸住宅の統合を目指すユニタリズムと違い、民間と社会賃貸の間に一つの分断線を引くことで統合を目指さない(二つは二つのまま)住宅政策がデュアリズムだ。

デュアリズムの社会では日本だけでなく、民間セクターが不動産業界の中心となっており、社会賃貸住宅が十分に供給されない。そして民間セクターが積極的に提供するのは新築の住宅である。これは資本主義の仕組みを考えると、容易に理解できる。日本の場合はここにスクラップアンドビルドの慣習が加わるため、中古市場が育ちにくい。新築が消費者に選好され、政策的にも新築が推奨され、また市場に多く供給されるのも新築されるという構図だ。

こうした構図に90年代以降の新自由主義的な経済がのしかかる。バブル崩壊以降は雇用の非正規化が進展し、新築住宅を購入するための重要な条件である「男性稼ぎ手モデル」は崩れている。かつては男性で、被雇用者であるならば一定の稼ぎがあり、結婚して家(マイホーム)を持つことができた。現在ではそれは、一部の人には可能だが、別の一部の人には困難な夢である。

3章から5章にかけて若者、女性、高齢者にそれぞれ一章分ずつ割くことで、変容した(している)彼ら彼女らのライフスケープを記述することを平山は試みている。ここで記述されるのは、かつてのような「梯子」を上るモデルではもはやなく、そして「梯子」を上ることができるのは恵まれた環境に置かれている者の特権のような社会構造になっていることだ。

お金や資産がない、学歴がない、スキルや資源がない、そういった人たちが都市生活を営む困難さが同時に細かく記述されているからだ。「選択の自由」や「私的な消費」を好む規制緩和の方向性は、結果的に底辺への競争を推し進め、多くの持たざる人を生み出している。持たざる人にとっては、選択も消費も自ずとその機会が限定されかねない。

こうした、都市生活を営むことの困難さをどう克服するかについては、本書の締め括りに注目したい。多様な「生き方の景観」の構想を提案する平山の議論は、現代を生きる私たちにも重要なものだろうから。

都市成熟の「かたち」は、「自然現象」として生まれるのではなく、社会の創意工夫からしか得られない。都市の条件を再生産し、ライフスケープの豊かさを持続するうえで、試されるのは、私たちの社会が思慮と挑戦の力をもっているかどうかである。(中略)新たな世代が、人生の道筋をより自由に選び、その実践の集積から、社会維持の新たなサイクルが生まれ、より多様な”生き方の景観”が立ち上がる。都市のそのような将来を展望したい。私たちに与えられているのは、成熟の時代の都市をどのようにつくるのか、という問いに挑戦する機会である。(p.258)

[2021.2.8]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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