修復的な他者とのつながりは希望になるか ――李琴峰(2018)『独り舞』講談社

バーニング
Apr 11, 2021

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3年ほど前に一度読んだ時、あまりうまく読めていないなと実感しながら読み終えた。今回の読みでどこまで読み込めたかは分からないが、ただ単に「生きづらさ」を描いた小説というよりは、誰にでも共通するような過去の傷であったり、それを他者とのつながりの中で修復できるのではないかという希望だったりを読み取りながら読み終えた。

台湾出身の主人公は台湾時代にいくつかの死と別れを経験している。それらの経験が、彼女の内面を暗くし、社会や人生に対して悲観的なイメージを持ち続けることになる。台湾でも日本でも精神科を利用しながらなんとか生きていこうとする彼女にとって、レズビアンというアイデンティティや他者との向き合い方に小さいながら希望の光があるように見えた。

レズビアンだから、セクシャルマイノリティだから、という紋切型の表現に対して批判的な態度が本作のキャラクターの会話を読んでいると垣間見えてくる。レズビアンという対象に対して社会が向けるまなざしの残酷さは台湾、日本それぞれにあることを著書は書きつらねているが、それと同時に自身の性的指向と向き合いたいという希望(あるいは、欲求)が、本作の中で語られる中山可穂の小説の魅力を例にして表現されている。

台湾を離れて東京に行っても過去の傷が、過去の別れが尾を引くということ。それらから、あるいは現実の社会から逃げることをいったん選択した後に待っている結末が、最初読んだ時は少し予定調和かなと感じた。小説だからこうなるのであって現実ではこうならないのではないかと感じたからだ。

ただ、小説であっても現実であっても同じなのは、自分ひとりで突破できない限界を抱え、精神的にも社会的にも閉じこもった状態から救い出して(あるいは掬い出して)くれるのは他者だということだろう。連帯やシスターフッドという言葉が適切かどうかは分からないけれど、仮にそうした大文字の言葉で表すようなつながりではなくても、自分以外の誰かが近くにいてくれてよかったという経験は誰にでもあるだろう。

もちろん他者とのつながりをきっかけに傷を負った過去があることを前提とし上でだが、本作の結末のように修復的な形で現実に戻って来られるとしたら、非常に希望的な結末だと思う。他者との関係を修復する行為は、自分自身の傷を縫って治すような行為に近しいから。

もう一つ、これは現代の東京を書いた小説でもある。おそらく著者自身が早稲田に留学していたころと重なる2010年代の東京の社会の空気が、著者やキャラクターたちが過ごしたそれ以前の台湾の社会が持っていた空気と対比されるようにして描かれる。

東京も完璧な街では全然ないけれど、ここには少なくとも新宿二丁目があるし、異質な他者を受け入れる(というより過度に他者に関心を持たない、の方が適切かもしれないが)土壌もある。本作はそうした現代の東京で生きている若い女性を、表象する物語でもある。

[2021.4.12]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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