この前読んだ『三十の反撃』とはまたかなりテイストの違う短編集だなと思った。2010年代後半から最近にかけて発表したものをまとめた一冊で、「作者の言葉」(あとがきに相当するページ)によると、著者初めての短編集とのことだ。初めてにしては非常にクオリティが高く、そのまま長編に改編しても良いようなアイデアの詰まった短編が集まっているのが魅力的だ。
『三十の反撃』でもそうだったが、少し風変わりなキャラクターを作るのがうまい作家である。本書の場合、「箱の中の男」において箱に入って生活している主人公の男や、表題作「他人の家」に登場する快調さんもそうである。少し風変わりなキャラクターを登場させることで、作中の他のキャラクターや読者に対して驚きを与えつつ、日常の中にある不安を描いたり、どうしようもない個人の怒りを書くことに成功していると言える。そもそも、「他人の家」というタイトルには不安感が詰まっているとも言える。
最初の短編「四月の雪」でフィンランドから韓国に旅行に訪れる女性、マリも少し変わった人物として描かれる。彼女が遠い異国の存在であることや、外国語を通じてでしかコミュニケーションができないこと、文化を共有していないことなど、民泊としてマリを受け入れる主人公夫妻との間における「分かりあえなさ」がマリを「少し変わった人物」にさせてもいる。人間の印象はそこにいるだけで決まるのではなくて、周りの人間たちの主観によって決定されるからである。そしてそこには無意識のバイアスがある。
この夫妻が幸せなカップルであったなら、マリはその幸福に水を差す厄介な存在になったかもしれない。しかし、ウォンピョンはこの夫妻を、もうすぐ結婚生活を終わらせようとする不幸なカップルとして描く。つまり結婚生活の最終盤で登場する異邦人が、マリである。
彼女と夫妻は文化も歴史も慣習も共有していないし、北欧と韓国とではもちろん季節感も異なる。そして何より、夫妻の間にある亀裂、「分かりあえなさ」も共有していない。共有していないストレンジャーだからこそ、夫妻は自分たちが気づかなかったことに、気づかされていく(しまう)のである。
近未来の高齢者介護をディストピアSFの要素を絡めて書いた「アリアドネの庭園」や、先程触れた「他人の家」も非常に秀逸な作品で、アイデアもキャラクターの造形も、非常によく練られている。不安や不信感を抱えながら生きていくしかない現代人の心情を、様々なバリエーションで表現しているのも魅力的だ。「四月の雪」もそうだが、いずれの短編も住居が一つの重要なファクターになっているのも面白い。
「四月の雪」を最初に読むことでこの作家への絶大な信頼が生まれた。そのことをここでは書きたかったので後に続く短編への言及は少なくなってしまったが、それぞれ味わいの違う、行き場のない感情を存分に味わえる一冊となっている。初めての短編集だが、著者のベストアルバムと言っても過言ではない。
[2023.4.7]