「反リベラリズム国家」たる現代ロシアの歴史修正主義とその戦略 ――マルレーヌ・ラリュエル(2022)『ファシズムとロシア』(訳)浜由樹子、東京堂出版

バーニング
Dec 31, 2022

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(このエントリーは2022年6月に初稿作成したものを編集した投稿です。ロシアの政治動向やウクライナ戦争に関する最新の情報をフォローしたものではありません)

本文冒頭で言及されているのがこちらの記事は、2022年の現在にも大きな意味を持っている。ウクライナの大統領(ゼレンスキー!)がポーランドと一緒に第二次大戦下のソ連の責任を問うスピーチを報じた記事だ。ここでゼレンスキーは明確に旧ソ連の戦争責任を追及している。

しかしロシアからすれば黙ってはいられない。なぜならばロシアは、かの大戦においてナチスドイツの侵略からヨーロッパを死守したからだ。あまりにも激烈な独ソ戦を乗り越え、当時のアメリカやイギリスとも手を組んで戦勝国になったことは、この上ない歴史的な栄光なのである。

本書を読み進めていって明らかになるのは、ヨーロッパにおけるロシアの立ち位置とその歴史観(記憶)の重要性である。ロシア(と旧ソ連)にとって、ナチスドイツというのは最大の敵であった。であるがゆえに、現代ビジネスの浜由樹子の記事にも詳しいが、いまのプーチンはウクライナの非ナチ化のために軍事作戦を決行したと大手を振って明言している。

もちろんそれはプーチンの頭の中にある歴史観であり、記憶であるから、西側諸国からは到底理解しがたい。ただ、ロシアにとってナチズムはかつて最大の敵であったし、ナチスの影響を受けるサブカルチャーであるネオナチや、ファシズムは現代でも名指ししてよい敵だ(しかしすべてが敵かというとそうではなさそうなのがややこしい)。歴史的事実と、その後ロシア側が都合よく書き換えていった歴史修正主義との混交が、現在のプーチンの行動原理を客観的に分かりづらくしている要因の一つである。

プーチン政権の初期に、ロシアがヨーロッパの秩序に接近したことはあった。しかしそれはあくまで一時的な歩み寄りであり、本気だったかどうかは疑わしい。2022年3月26日の国際政治チャンネルで語っていたように、ヨーロッパの秩序が「西側」の秩序であり続ける限りロシアがそこに加わる余地はない。むしろ、EUなりNATOなりが「西側」の秩序である限り、ロシアはロシアの立場でヨーロッパの再編を企図し続けるだろうというのが小泉の(おそらく一貫した)見立てである。

この小泉の見立ては、ラリュエルが本書で記述することとも合致する。それは、ロシアのもう一つの敵がリベラリズムであり、西側諸国であるということだ。だからこそ、反リベラリズム国家として現代ロシアを理解することが重要だとラリュエルは本書の中で繰り返し訴えている。

ここでいう西側諸国は先ほどのヨーロッパ秩序(EUやNATOなど)を含むが、それ以上の西側諸国のことも指している。アメリカはもちろんだし、今回本格的な対ロシア制裁に加わっている日本もそうだ。日本とは領土問題が存在する(という認識は日本側だけかもしれないが)ことを差し置いても、プーチンの最近の言動を見ていると日本を明確に敵視していることはよく分かる。

反ファシズムと、反リベラリズム。前者はナチスドイツとの激戦の末に生まれた思想だし、後者は戦後に形成された東西対立の残滓として考えるべきなのだろう。もちろん皮肉なのは、反ファシズムを謳うはずのロシアそのものが、ファシズムに近い形になっていることだ。ラリュエルはしかし、こうした議論には安易にくみしない。

本書では、何がファシズムであって何がファシズムでないのかを区別するための、ファシズムの類型化の研究を丁寧にレビューしてゆく。ラリュエルが現代ロシアをファシズムだと安易に断定しないのは(かといって否定もしない。この微妙な立ち位置が重要なのだろう)ファシズムだと断定することで、多くのことを見えなくするからだと繰り返し述べている。むしろ、反ファシズム・反リベラリズム国家として解釈した方が、現代ロシアを理解しやすいのだというのが本書の核となる主張だ。反リベラリズム国家としての現代ロシアの地平に、ロシアがいまも現在進行形で行っている戦争を引き起こした要因もあるのだと。

2022年のロシア・ウクライナ戦争においてロシアを擁護する価値は一ミリもないと考える。それは国際法上の立場からも、人権・人道的な立場からも明確な違反をしているのはロシアだからだ。しかしそうした解釈自体が「(リベラルサイドである)西側」の解釈であり、現代ロシアの世界観や歴史観と符合しないものだとしたら。そうであれば、既存の西側の秩序が通用しないこともまた理解できてしまう。少し前に欧州評議会を離脱したのも、こうした文脈だと妥当な選択に映る。

プーチン個人の歴史観に焦点を当てるメディアの言説も戦争を契機として多く目にする。それらも一考には値するだろうが、本書を読めばプーチン個人の単なる妄想や暴走としてはとても片づけられないことが良く分かる。それくらい、ロシアの「反リベラリズムプロジェクト」は、時間をかけてロシア国内に浸透しているからだ。

そうした浸透があるからこそプーチンの高い支持率につながっているとも言えるだろうし、「反リベラリズムプロジェクト」に乗ることができないインテリや左派は、戦争を契機としてロシアからの「離脱」を強めている。ハーシュマンの言う、「離脱」と「忠誠」のオプションをそれぞれ選択しているロシア人がまさにいま、多数存在しているのだ。

最後に、本書の締めくくりとなる文章を紹介したい。本書の結論部分に当たる一節だが、ラリュエルの議論の関心を要約した文章にもなっている。

「誰がファシストか」というレッテルを使い分けることは、理想的なヨーロッパとは何かを定義することである。もしもロシアがファシストなら――もしもプーチン体制をファシズムと分類できるなら、あるいは、もしもクレムリンが批判したがらないソ連の過去がナチズムと同様のものなら――ロシアはヨーロッパから排除されることになり、アンチテーゼとして、そしてリベラリズム、民主主義、多元主義、大西洋機構への参加といった、ヨーロッパの概念に体現されるあらゆる価値にとっての本質的他者として描かれる。もしも逆に、モスクワが言うようにヨーロッパが再びファシズム化しつつあるのなら――もしも1945年の勝利に対するイデオロギー的現状が挑戦を受け、ヨーロッパのいわゆる伝統的価値が攻撃にさらされているなら――ロシアが、キリスト教、保守主義、地政学的大陸部、国家中心的を意味する「真の」ヨーロッパが復活する道を指し示している、ということになる。誰がファシストなのかを決める現在の争いは、ヨーロッパの将来を定義する闘いであり、分断線を引くキーとなる問題は、ロシアの包摂か排除か、にあるのである。(pp.303–304)

戦争はいつ終わるのか、終わったとしてその後の国際秩序はどのようなものになるのか。そうした問題関心はすでに多くの国際政治学者や地域研究の研究者が議論している。そうした議論の中に、ラリュエルの解釈する歴史的・政治思想的・イデオロギー的な議論は一定のインパクトを持つはずだ。戦争が始まって以降多くの(比較的入手のしやすい)書籍を読んできたが、戦争に関心のある人には本作は必ず読まれてほしい。そうした価値のある、重要な一冊である。

[2022.12.31]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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