困っているから助ける、というシンプルで素直な関係の良さ ――瀬尾まいこ(2020=2023)『夜明けのすべて』文春文庫

バーニング
May 24, 2024

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映画が評判なのを知ったのが遅かったせいもあり、結果的に映画に間に合わなかったので原作を読んでみることにした。自分にとっては初の瀬尾まいこで、同じく映画になった『そしてバトンは渡された』の次に出した一冊らしい。文庫本でも250ページほどの小さな長編小説だが、舞台となる栗田金属も含めてこれくらいの小さい規模感だからこそ、オーソドックスな日本映画向きの原作として機能したのかもしれない。

栗田金属という、建築資材やネジ、釘などの仕入れと卸しを行っている小さな専門商社が舞台。従業員はわずか6人の小所帯で、ザ・零細企業と言っていいような雰囲気を出す会社である。主人公の二人、藤沢さんと山添くんはいずれも大学卒業後に新卒で入った会社で挫折を経験した後、栗田金属に入って来た。

藤沢はPMS(月経前症候群)により、生理のタイミングに感情を抑えられずイライラする症状を10代のころから患っていた。その後診断がついて服薬を始めるものも、今度は服薬の影響で睡魔に襲われ、会議室のセッティング中に眠ってしまうという失態をした経験もある。山添はパニック障害を患っており、電車に乗ることすら難しい。彼も服薬を続けているが、症状を完全にコントロールできるには至ってない、という設定である。

二人の病歴の話を読んでいて素朴に思ったのは、医療も福祉も届かない世界の話をちゃんと小説の中に書いているな、という感想だった。二人にとって医療との関係は定期的な診察と処方だけであり、それ以上の関係はない。現実だったら訪問看護も利用できるかもしれないが、それでも就労中は難しいだろう。福祉的就労ではなく、一般就労する人に対してのサポートに限界があるは福祉の世界も一緒で、結局二人ができることは「薬を飲み続けながら現実にいかに対処するか」でしかない。

その対処の難しさを、この小説は前半部分で(いい意味でしつこいくらい)丁寧に書いていく。どういう時に症状が起き、どういうしんどさがあり、どういう名前の薬を飲み、その後の心身の変化はどうなるのかなど。これは単に小説のディティールを高める以上に、読者にも二人の状況を具体的に伝えることが重要だと作家が認識しているからだろう。特に次の山添のエピソード、元恋人の千尋を失ったことについての語りは切ない。

今では千尋に会いたいと思うことはなくなった。でも、もしもパニック障害にならなければ一緒にいられたのだろうかと考えることはある。千尋がいて、仕事を続けていて、仲間とも交流して、自分の思うように動くことができる日々。パニック障害がなかったら、俺はどこまで進めていただろうか。二十五歳。明日や明後日が楽しみで、やりたいことが満ち溢れていたはずだ。やめにしよう。歩むべきだった自分の姿を思い描いたってどうしようもない。(p.142, 2023)

もう一つ、医学モデルと社会モデルという障害学の定番となるアプローチを導入してみる。この小説は医学モデル(診察や服薬による治療の継続)を否定こそしていないが、同時に限界も提示するところが現代的だと言える。では社会モデル的な、例えば合理的配慮のような仕組みが栗田金属の中にあるかどうかは分からない。ただ栗田金属の社員や社長が二人に求めるのは、「頑張りすぎない」ことで、そのシンプルでタフではない環境の構築が、結果的に二人にとっての合理的配慮につながっているとも思えた。

山添、藤沢それぞれ仕事の能力がないわけではない。ただ、それぞれ症状によって一時的に仕事に支障をきたすという、それだけなのである。それだけの配慮ですら、いわゆるメンバーシップ型的な、日本型雇用とは相性が悪い。なぜなら日本型雇用は組織へのフルコミットを求めるシステムだからである。今でこそようやく合理的配慮や人手不足や新型コロナなど様々な影響で見直しの機運はあるが、少なくともこれまではそうだった。

また映画の感想を見ていると、藤沢と山添が恋愛関係にならないことを評価しているコメントが散見されたが、個人的にはそれは些末な問題だと感じた。二人の関係性に名前があってもなくてもどっちでもいいだろうし、あるいは身体の関係があってもなくてもどっちでもいいのでは、と思った。ただもちろん、恋愛関係という分かりやすい関係にならない良さは確実にあるので、そうした見方(恋愛関係に至らないから良いということ)を否定することはしない。

例えば、自分に手を差し出し続ける藤沢に対して山添は恋愛感情を疑うが、藤沢にとってはそういう気がないことを伝える場面がある。「気があるから助ける」のではなくて、「山添が困っているから助ける」に過ぎないことを美紗ははっきりと伝えるのである。そしてその藤沢の伝達を山添は深く疑うことはなく、素直に受け入れる。この二人のやり取りを見ていると、手を差し出す側も、もらう側も、とても素直な関係だなと思った(もちろんこれまでの挫折経験がそうさせている部分もあるだろう)。

二人が見せたこの小説でのコミュニケーションは、助けを求めることと手を差し出すことの繰り返しである。そしてそのコミュニケーションの様相は、もしどこかで行き過ぎたと思っても、話し合って引き返せる二人だと思える。ゆえに二人の関係がもしかしたら深くなることもあるだろうし、身体の関係に至ることだってあるだろうが、逆にそうならなかったとしても全く不思議ではない。二人の間に納得できるだけの空間があれば、きっとそれで良いのだから。

[2024.5.24]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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