本書の解説でも訳者の小山内園子が詳しく触れているように、近年の韓国文学におけるフェミニズム文学の興隆は一つの大きなトレンドだろう。それを担う作家たちを「ヤング・フェミニスト」と評するのは初めて知ったが、本作のカン・ファギルや以前から愛読しているチェ・ウニョンのように20代30代の女性作家たちが多数存在することでフェミニズム文学の裾野を大きく広げている印象が強い。
キム・ジナ、ヤン・スジン、ハ・ユリ。同世代の3人の女性たちが軸となって物語は進んでゆく。いずれも同じ大学、学科の出身で、ここでは詳しく触れないがユリは学生時代に事故死している。序盤はジナが受けた性暴力の告発と、それを知ったスジンの反応が物語を進めていくが、ジナが大学のあったアンジンを訪れてネットでセカンドレイプするツイッターアカウントの中の人を探したり、過去に起きたことを様々探っていく中で、ユリの死の真相や彼女が死の間際に経験していたことが複雑に絡んでくる。
読み終えてみると様々なことが複雑に絡み合っていることが分かるし、はっきりと解明されていないこともある。本作は別にミステリーではないので、そうした態度はごくごく自然なことだろう。かつて仲の良い幼馴染だったジナとスジンは、それぞれの恋愛などをきっかけにしてすれ違い、対立していく。しかしこれは、本当に起きていたことを知らないがゆえのすれ違いでもあった。それはユリも同じで、特にスジンとユリはそれぞれに辛い体験を内包したまま孤立していったことが分かる。
スジンとユリがそれぞれ受けた性暴力について、これも小山内が詳しく触れているように、その描写の方法にカン・ファギルはかなり気を遣っているようだ。小説を読む読者が被害を受けないようにという配慮のようだが、もう一つはキャラクターへの配慮でもあるように思える。
スジンもユリもフィクションの存在ではあるが、どこかに存在していてもおかしくない存在だ。韓国社会における司法の問題や、男性と女性の間の不平等や不公平の問題。そうした社会背景もまた、彼女たちの孤立を生んでしまっている。だから彼女たちは、フィクションにのみ生きている存在とは言えない。
だから重要なのは具体的な被害の描写ではなく(もちろん、ミステリー小説だからではない、という特徴もあるだろう)スジンやユリの声を聞き、それを文章に書くことで彼女たちを救い出すことである。それは彼女たちの存在や行為を否定せす、承認することでもある。そしてジナも、彼女は彼女自身の手で自分を救い出すことである。
タイトルである「別の人」とは誰のことであり、どういう意味であるのかは、後半になって一部言及はされるもののあえてぼかされているし、定まった解があるわけではないように感じた。かつて自分の好きだった男性の本性が実はそうではない「別の人」だったとも言えるだろうし、被害を受けた自分が「別の人」になりたいという切実さとも言える。
女性の声を書き続けることを大事にしてきたカン・ファギルは、本書でも声を書き続けることでキャラクターを救い出そうとしている。そうした行為や、あるいは祈りのような思いが現実にも届いてほしいと、強く思う。
[2021.10.24]