失われてゆく、その痛みを書く――村上春樹(1984)『蛍・納屋を焼く・その他の短編』新潮社

バーニング
4 min readOct 8, 2020

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前々から春樹は長い長編よりも短い長編の方が良いと思っているが、短編もいいものはそれなりによい。『中国行きのスロウボート』の表題作や「トニー滝谷」や、例を挙げればいくつもある。それでも春樹が評価されるのは最低でも二冊以上は費やされる長い長編をコンスタントに発表してきたからだろう。デビューからもう40年が経過しているが、現在でも書き続けることができていること自体が評価に値するのかもしれない。

そもそも良い短編を長編化するという作業も、春樹は何度も繰り返している。本作に巻頭で収録されている「蛍」はそのまま『ノルウェイの森』になるし、長い長編の代表作とも言える『ねじまき鳥クロニクル』にも原型となる短編「ねじまき鳥と火曜日の女たち」がある。長編化とは全然違うが、「納屋を焼く」は韓国映画『バーニング』として現代に蘇ることで、改めて注目を集めることとなった。

「蛍」も「納屋を焼く」も、共通しているのは主人公がヒロインを喪失することだろう。いずれも青春の挫折として、だ。後者については『バーニング』においては韓国的な格差社会(労働、不動産、中央と地方etc.)の味が濃くなっていたが、小説として読む限りでも資本主義の一側面を眺めるように書いたような印象を持った。最初にこの本が出た1984年は、まだバブルの足音は聞こえてこないかもしれないが、日本がジャパンアズナンバーワンへと昇りつめていく時代ではある。しかし、かといって全員がそのてっぺんにいたわけではない。多くの人が資本主義の恩恵を享受しているからこそ、逆にそういう枠組みで生きられない人の孤立は際立つかもしれない。

「蛍」も「納屋を焼く」も、主人公は青年といっていい年齢の男性だが、何かを手に入れていない男性、とも言える。いずれにおいても、「手に入れていた」男性が対置されることによって、主人公がいかに「持てない人」であるかも強調されている。ここで「持てる」側の象徴が魅力的な女性だったりするわけだけれど、物語の筋書きとしては、主人公の側が「手に入れることなく失う」ことを描写しているとも言える。

「蛍」でも「納屋を焼く」でもヒロインは突然姿を消す。前者はまだ姿を消した理由が明かされているが、後者は不明なままだ。いずれにおいても、ヒロインの人生にとってのハッピーエンドはほとんど約束されていない。彼女たちもまた、「失う」存在なのだ。

続く「踊る小人」も一種の資本主義批判ともとれるし、「失われてゆく」ものは何かと考えると読みが深まるかもしれない。後半の短編はあまり印象に残らなかったのでコメントしないが、何も手に入れられないまま失うことだけを経験する若者たちを、現代から振り返ると日本が元気で輝いていた時代とも言える1980年代に発表しているのは面白い。

春樹が時代の空気を無視しているわけではなく、むしろ後の「壁と卵」スピーチなどは非常に敏感だともとれる。時代の空気を単に追認することなく、しかしそこに確かにありえた若者たちの物語を書き残すことが、当時の春樹の思いだったのかもしれない。もちろんこれはあくまで、個人的な(そしてやや雑な)読みである。

[2020.10.09]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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