小説としてのデビュー単著となった『ギフテッド』は新宿界隈だろうというフィールドと、ホステスという仕事が分かる書き方をされていたため、一般にもなじみがある人にはなじみがある世界だろうと思いながら読んでいた。中の人と客の接点がある場所を、中の人の視点を使って書いてみた(おそらくいくらかの作家自身の経験も含みながら)という秀作だったと思う。
本作の舞台はAVの撮影現場であり、女優のメイクを行う化粧師が主人公である。AVはパッケージとして提供されるか、イベント等で女優との接点があるとはいえ、撮影現場は閉じた世界であり、キャバクラのように客との接点がある場所ではない。そのため、前作と比べると知らない世界をのぞき込むような趣もある。もちろんそれが主眼ではないものの。
ホステスと客との関係と大きく違うのは、当たり前だが身体と身体の接触が中心的になることだ。AV、ポルノグラフィといった創作物を提供するためのフィクション化された身体の接触ではあるものの、法の許す範囲で様々な表現を繰り広げようとすればするほど、身体と精神へのダメージも重なっていく。
ポルノ女優の顔や服装を真似る女性たちが格段に増えてからは、男の射精を促すことだけに特化した顔だと割り切っていられない事情があるらしい。ただポルノ女優が男女両方のものとなっても、ポルノそれ自体は依然として男のものであるし、私は相変わらず男に向けて顔を作り続けている。ただ、どちらにせよ精液や尿や唾液や涙で泥のように流れてしまう化粧について、あれこれと注文する女優や譲れない箇所がある女優を面倒だとはあまり思わない。数十分後には裸になり、身体も性も自尊心も数時間の間は放棄する彼女たちがそれでも明け渡さないものがあるのだとしたら、その片鱗に触れる私は幸運だとすら思う。(p.53)
身体の接触と重なるようにして「精液や尿や唾液や涙」といった様々な体液が女優の身体と顔に覆いかぶさるが、それらの体液は主人公が下地をした化粧をさも当然のように流していく。いずれ流れて消えるか、汚される。その意味で化粧師は黒子の中の黒子的存在であり、透明化されているようにも思える。
本書と『ギフテッド』の共通点は職場と家の往復が描かれる中で、家族との関係性が織り込まれていくところだ。前作は不在の父や母との関係が主眼だったが、今回は母、そして祖母との関係、つまり女三代の歴史が折り重なってくる。彼女たちの若かったころを、主人公はよく知らない。同時に彼女たちは、主人公の仕事について、よく知ってはいない。それでも成り立つのが、家族というものだろうか。
他者の人生について、自分はよく知らないのではないか。何度も担当した女優の引退を知らされる場面で、これまでほとんど感情が動かず、職人のように淡々と仕事をこなしてきた主人公の感情が揺さぶられていく。業界に長くいるようで、カメラの前で裸になる女が女であるがゆえの事情を実はよく知らない。
もちろん聞き出す必要性も、女優が打ち明ける必要もない。個人の内面の秘匿こそが、この職業には重要な要素にもなる。また、彼女たちが演じることに特化するがゆえに、演じない自分の感情やその表現が後景に退く様はホックシールドの『管理される心』を思い出す。AV女優という仕事は画面の向こうにいる誰か(基本的には成人男性)に対して身体と精神を限界まで利用して提供する、究極の感情労働なのかもしれない。であるならば、そのすぐ隣にいる化粧師は疲弊した女優たちを束の間癒せる存在とも言える。黒子であり、ケアの担い手としての化粧師が浮かび上がる。
仕事以外でも女が女に触れる場面が短いながら描かれる。このやりとりも、小さな日常のやりとりだと言ってしまえばそういうことなのだろう。でもこれまで読んできた物語の後に見せられるとしたら、少し意味が変わってくる。その瞬間が、実は特別なものかもしれないと予感させてくれる。
[2023.3.22]