好きという感情の複雑さとその意図せざる展開 ――木原音瀬(2013)『美しいこと』講談社文庫

バーニング
May 29, 2021

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ネットで薦められていてなんとなく手に取ったが、なんとなく手にとって読み進めるにはなかなかヤバい小説だった、というのが最初の感想。次に出て来た感想が、「複雑な感情がさらに複雑に揺れ動く様を最後まで書き切る技量がすごい」だった。木原音瀬という名前は知っていたが著作についてはほとんど知らない状態だったので新鮮に読めた面白さもあったかもしれない。(なおこの書評は講談社文庫版に準じる)

週に一度、金曜日に異性装を楽しむ松岡が、女性になった姿で出会った会社の同僚、寛末を好きになることで始まる物語である。その後の展開を読むにあたって、「誰かを好きになってしまった感情」をここまで狂おしく書くことができるんだなと感じた。二人の関係に一つの区切りが(それも悲しい形で)見えてきたころ、葉山という女性キャラ(松岡の同期入社という設定)が登場する。この葉山の存在が、非常に絶妙に効いている。

葉山を松岡と寛末のに配置することで松岡と寛末、男二人の感情をさらにクリアにすることにつながっている。葉山自身はどうしても作劇上は報われないわけだが(そして報われない系のキャラには独特の人間的魅力があるとも再確認した)彼女は主人公の松岡に対しても一時期恋愛感情を抱いていたことが明かされたり、葉山と寛末の関係を通じて松岡の感情を揺さぶったりするなどして、さらに人間関係を複雑化させていく存在だ。もともと複雑な松岡と寛末の感情を描写するにあたり、葉山という存在は二人の関係を知らない葉山の意図せざる形で男二人をかき乱してゆく。

しかしそれ単に葉山が作劇上の都合で配置されたキャラではなくて、木原音瀬は葉山の恋愛とその挫折を短いながらも丁寧に書いている。そうすることで、葉山という女性の生きてきた歴史を浮き彫りにすることに成功している。つまり、息をしている人間を書くということに成功しているのだ。だからこれは松岡と寛末だけの物語ではない。葉山も確かに、この物語の中心にいる。彼女の存在を見逃してはいけないのだと。

葉山の話を長くしすぎたので松岡と寛末の関係に戻ろう。二人ともつまるところは、好きという感情をこじらせにこじらせている。そして二人とも、それは意図せざるこじらせ方である。松岡はまさか女性の姿で寛末を好きになるとは思っていなかった。そして偽りの姿であるがゆえに偽ったまま寛末との関係を深めることにジレンマを感じる。寛末はその松岡を美しい女性だと思いこんでいるがゆえに(もちろんこれは松岡の罪である)その呪縛から逃れられなくなる。ゆえに、偽りの幻想を求めてしまう。

この二人の関係は明らかにハッピーエンドを志向してはいない。そもそも二人はそれぞれゲイではなく異性愛者であるため、男性同士の姿で二人の関係が深まることは想定しえないからだ。しかし、木原音瀬はそうした設定上の予測すらも容易に覆してゆく。つまり、最初に書いたように「好きという感情」は実に複雑で、そう簡単に割り切れるようなものではないのではないうことだ。

この小説の結末は、物語の結末とはイコールではない(実際に続編が存在するらしい)。ただ、個人的にはこれはこれでよいのではと思う。二人の感情は容易に落ち着くところがなく、複雑に絡み合ってこじれ続けていく。しかし、その「続け」てゆく中でしか見えてこないもの、松岡、寛末、葉山、この三人が出会わなければ生まれなかった感情こそが、木原が本作で書きたかったことのように思える。そしてその試みは非常に秀逸なものだった。

[2021.5.30]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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