始めから破綻している男女関係と、その後の自滅 ――ミシェル・ウエルベック(2019=2022)『セロトニン』(訳)関口涼子、河出書房新社

バーニング
Jul 17, 2023

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『服従』以来、久しぶりにウエルベックを読んだがあえて意識的に政治的に書いた前作と違って明確にいつものウエルベックに戻ってきたなという感想が強い。訳者の関口涼子はウエルベックの人物描写や造形について一定の評価を与えているようだが、それに同意するのもいささか難しいかなと思うところが多い。

物語の筋としては、独身中年男性が現在の恋人であるユズ(フランスで働いている日本人女性)とのセックスやその関係の終わりについて葛藤しながら、若き日の恋とセックスを一通り振り返り、農業関係の仕事の契約を終えて、最後は自滅するような形で自室とインターネットに引きこもる小説だった。なぜ主人公のクロードが「転落していく」のか、そのヒントはユズとの関係にある。

中年になってから出会ったユズは、クロードと20歳ほどの年齢差があるらしい。そのユズに対するクロードの態度は、明らかに「マウンティング」を取ろうとしている。「女にとっては愛は何かを生み出し大地を揺るがす力だ」(河出文庫版, p.69)と独白するような中年男性を、現代の日本人女性であるユズが愛するだろうか? もちろん、否である。だからこの小説が始まった時点ですでに、二人の関係は破綻しており、終局の間近にいる。

この独白に続くさらなる独白が以下の部分だ。ユズの持つ尻、そして三つの穴の素晴らしさを語ったあとに、クロードは続ける。

皆はぼくがセックスに重きを置きすぎていると非難するかもしれないが、ほくはそうは思わない。もちろん、人生の通常の営みの中で他の喜びが次第にそれなりの位置を占めることを否定はしないが、セックスは、特に強度のあるセックスは、個人的かつ直接に自らの身体器官を危険に晒す唯一の時間であり、愛の融合が生じるためにはセックスを通ることが欠かせず、セックス抜きには何も起こらない、残りのあらゆること は、通常はそこからゆっくり生じるのだ。まだ他にもある、それはセックスは危険な瞬間でもあり続けているということだ。(p.72)

この箇所だけを切り取ると、愛やセックスについて一家言持っている男性の主人公の造形は、日本では村上春樹と比較されがちだ。ただ本書の主人公クロードと、春樹の主人公は異なる部分が多い。春樹の主人公は中年になったとしても基本的にロマンティックの追求者なので、露悪的な性描写はほとんど出てこない。今年出た最新作は未読だが、その前に書いた長編『騎士団長殺し』でも、中年の男女のセックスは(たとえそれが不倫関係であったとしても)美しく描写されており、露悪的にならない。つまり、男女間のロマンティックを否定するかのように容赦なく露悪に生々しく書くウエルベックとの大きな差異がここにある。

ただ、男女間のロマンティック・ラブはもう古いタイプのイデオロギーなので(同性愛やクィアを想定していない、恋愛とセックスと結婚を直線的に結び付けているetc.)、このイデオロギーを否定するのは重要なのだろう。日本にはそもそもロマンティック・ラブが根付いているのかどうかも疑わしい部分がある(山田昌弘(2020)『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか? 結婚・出産が回避される本当の原因』)が、欧米でまだ根強いのは事実だろう。セクシャル・マイノリティの啓発活動と反対運動がセットで展開される欧米先進国において、古いイデオロギーを打破するのは容易ではない。

ゆえに現代的なロマンティック・ラブと男性性(というか男根主義)の終わりを書いたこの小説には一定の価値がある。とはいえこの小説を評価するのはやはり難しい。ユズについての独白も、過去の女(カミーユ)との回想もいずれもが長すぎるし、独善的すぎる。もちろんその独善さがクロードを破滅へと導くのだ、と言うのはよく分かる。しかしディテールに凝るがゆえに、小説としての緩慢さを生んでいはしないか。『服従』のような短い小説にまとめてもよかったのではないか。

ただ性描写の生々しさについて(獣姦や乱交などの非道徳的な性交の描写も含め)は、後半の自滅を考えると重要だったと言える。どれだけ愛やセックスのすばらしさを語ったところで、その独善さは自分を救うことにはつながらないし、古いイデオロギーは幸福を保証しない。

ゆえにクロードは自滅せざるをえない。クロードという白人中年男性の「終わりの始まり」を目撃するのが、非婚化と少子化先進国の日本から来た若い女性(ユズ)だったというのも、何らか示唆的だと言えるのだろう。

[2023.7.17]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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