幸福を物語る呪い ――リチャード・パワーズ(2013)『幸福の遺伝子』(訳)木原善彦、新潮社

バーニング
4 min readApr 5, 2019

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訳者あとがきで木原が述べているように、確かにパワーズにしては読みやすいのだろう。現在翻訳されているもので一番新しい『オルフェオ』は最後まで読んでもとらえきれなかったが、本作は幸福という分かりやすいテーマと、それに群がっていく人々、というこれまたありがちで分かりやすい構成をとっている。

突如書けなくなるスランプにおちいった作家ラッセル・ストーンが受け持つ大学の講義のもとに訪れるアルジェリア人学生のタッサ。彼女が持つとされる幸福の遺伝子をめぐって学界やメディア、遺伝情報を扱い民間企業などが彼女の動向を追いかける。さて、ラッセルとタッサは逃げ切れるか。

『オルフェオ』でもそうだったし、木原も指摘していることだが、パワーズは俯瞰的に物語を書いているところがある。それはパワーズ自信が小説の書き手だという意思が、キャラクターであったり行間に内在している物語とパラレルに連動しているということだ。

通常、作家であるパワーズがキャラクターを動かす、言わば神の視点から文章を書いていくようになるわけだけど、作中に表れる謎の「私」の存在は一体なんなのか。帯にコメントを書いている円城塔もメタフィクションと呼ばれるフィクションのフィクション(あるいはフィクションについてのフィクション)の書き手として現代文学では重要な人物の一人だが、パワーズは円城よりもさらに高度に、濃密に、かつボリューミーにメタフィクションを実践しているところがおそろしい。

さらにパワーズが現代的だと言えるのは世界で一番幸福な遺伝子を持つかもしれないタッサという一人の女子大生の情報が、ネットやマスコミなどあらゆるメディアを通じて(主に英語圏と見えるが)波及していくところだろう。

パワーズの小説世界にはYoutubeやソーシャルメディアがあるし、他方でシカゴトリビューンやドキュメンタリー番組、あるいは東京大学やメディアラボ(MITだと想定される)といった固有名が登場する。幸福の遺伝子を持つヒロインが拡散していくのは日々ネットに触れていればなんとなく想像がつくし、それと同じくらいサイエンスの分野でも注目されてしまうということもよく分かる。そうした多重構造の中にタッサと、そしてラッセルの二人が放りこまれるのだ。

とはいえそれは表のテーマであり、裏テーマはやはり冒頭から語られる書けなくなったラッセル・ストーンという(元)作家が、いかにして物語の語り手としての能力と情熱を取り戻していくか、というところだろう。タッサが幸福の遺伝子を持っているからラッセルが彼女に興味を抱いたというよりは、タッサが持つ情報の物語性に強く惹かれているように見える。要は、タッサという題材が与えられたときに、彼女と行動をともにすることでラッセル自身がストーリーテリングする能力を回復させられるかもしれない、という期待だ。

途中からラッセルとタッサはほんとうに逃げるしかなくなってくるのだが、その最中にラッセルが思い浮かべる次のくだりがなかなかにいい。詩的で美しくもあり、ラッセルのたどりつきたい一つの地点なのだと思う。

ラッセルは回転する星空の下、木のそばで柵の柱にもたれる。これこそ、かつて暗闇の中で彼の相談に乗ってくれた女性だ。目を閉じて、空中に文を書くの。左手を使って。一文だけ。簡単なものを。 二人は互いに沈黙する。 彼の上空で星が回る。そして彼は、最も内側の円の中心を指差すイメージを思い描く。君は既にここにいる。(p.413)

ではタッサはどこにたどりついたのか。タッサはラッセルの幸福を願う。タッサは自分がたどりつくべき場所が分かっている。自分がどういう物語の結末にたどりつくのかを。「私」と対話することのできるタッサなら、メタ視点を持つことのできる彼女ならば。

[2019.4.5]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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