影が薄い秀頼と、駆け引きをする淀殿――司馬遼太郎(1971–1972)『城塞』新潮社

バーニング
May 10, 2021

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思い起こすのは時代設定が連続しており、同じく上中下巻で新潮文庫から出ている『関ヶ原』であるが、本作のほうがより徳川家康という男のおそろしさを知ることができる。少なくともそういう書き方を司馬は好んでとりいれているのではないか。(なお、『関ヶ原』のレビューで次は『城塞』だとすでに書いているのだが8年以上のブランク(この文章を書いた2015年当時)が生まれてしまったのは単なる怠惰である)

さて、『城塞』は『関ヶ原』後の時代、そして江戸時代に入るまでの約15年間が物語の時間軸だ。そして家康のいる駿府と、秀頼、淀君のいる大坂との政治的駆け引きがテーマになる。

物語の終幕に向けて大坂冬の陣、夏の陣の描写も挟まれるし、真田勢の健闘も描写されるが、合戦が中心的に扱われるわけではない。あくまで政治的な駆け引きが主題だからだ。もっとも、『関ヶ原』もおおむね駆け引きの記述に大部分を割いていたが、わずか半日で決した関ヶ原の戦いと違い、冬の陣と夏の陣という二度に渡る合戦をあえてほとんど書かないというスタンスはなるほど分かりやすい。

おおむねの予想通り、大坂において秀頼の影は薄く、淀殿の扱いが大きい。淀殿がどれだけ大坂内部の権力構造においてどれほど支配的であったのかまでは分からないが、家康と対等に渡り合える存在としての価値の大きさが本作を読めばひしひしと分かる。では淀殿は何を目指していたのか、何のために家康と渡り合っていたのか、そして終わり行く豊臣の歴史に向けて何を思ったのか……

脇を固める役者としては小幡勘兵衛という男と、その男に惚れてゆくお夏と呼ばれる女性の姿が何度も書かれている。淀殿と家康の駆け引きにおいてこの男がどれほど重要だったのかといえば難しいところだが、のちに『甲陽軍艦』を生み出すきっかけともなるこの兵学者のキャラクターが非常に親しみやすく面白おかしい。

一方で家康は林羅山や天界、そして金地院崇伝といった学者、宗教者たちを脇に据えて自らの教養を高めていく。大きな戦いに望む前にまずは頭を鍛えようとするところは、駆け引きに長けた家康らしい性格かもしれない。

勘兵衛は家康と豊臣に片足ずつ突っ込むような形のポジションをとるが、結果的に両方の事情に通じることができ、勘兵衛の目を通して読者はたくさんの情報を拾うことができる。キャラクター的な魅力と、ポジショニングの妙が両方あってこそ、この小説は多くの軍師たちが生き生きとしているのだ。

もっとも、終わりを予感する人たちも数多くいる。これは『関ヶ原』のときとは情勢がいかに徳川に向いているかの表れであり、豊臣の弱体化を悟る人たちが多いことでもある。それでも、終わりを予感してもなお、あるいは終わりを見据えるからこそという美学こそが、本作のクライマックスに与えられる醍醐味だろう。

[Original:2015.4.29 / Post:2021.5.11]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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