郝景芳はケン・リュウのアンソロジー『折りたたみ北京』表題作で初めて知って、最近読んだ『1984年に生まれて』で度肝を抜かれたわけだが、本作も随所に郝景芳が散りばめられており、そのSF的な構想や男女のロマン、あるいは社会階層の話などなどを面白く読むことができた。
先ほど触れた「折りたたみ北京」も本作には収録されているが、郝景芳自身が格差や階層といった要素に従前から関心があり、「折りたたみ北京」のような格差を題材にした小説が書かれたようだ。一つの年を三つに分けて「折りたたむ」ことで都市生活を成り立たせているが、その三分割は均等ではなく、高所得者が有利な分割になっている(所得割とでも言えばいいかもしれない)。
そんな北京の清掃員の男性を主人公にするSFは、その設定だけで十分面白い着眼だ。ある意味よくできたはずの未来都市を、立場の低いところから見渡すことで、understand(理解する=下に立つ)構図を作っているのだと感じた。郝景芳がこうした社会政策的な諸問題に関心があるとはいえ、彼女が彼女の目線で書くとエリート的なバイアスからは逃れられないのかもしれない。だからこそ、フィクションのキャラクターの視点を借りることは、彼女自身が発したいメッセージを読者に伝達するために有効な手法なのだろう。
さて、それ以上に本作で白眉なのは「弦の調べ」と「繁華を慕って」の二部作である。レコードのA面とB面のように、二人のカップルの見て来た世界をそれぞれのサイドから描写、記述することでミステリーのような構造も持ち得ている秀作だ。
突如襲来し、軍事施設をひたすら破壊していく「鋼鉄人」に対し、カップルそれぞれが向き合っていく。まずは夫陳君の視点で、そして次は妻阿玖の視点で全く違う世界との向き合い方を描写していく。鋼鉄人は「虐殺はせず、ひたすら正確」(p.65)に施設を破壊したり、指揮官や兵士たちを攻撃したりするが、市民を狙うことはしなかった。市民の虐殺をしない代わりに軍人の多くは容赦なく殺されていく一方で、科学や芸術、歴史は鋼鉄人の関心の種となり、これらに関わる人たちは厚く保護されるという設定がユニークである。そして「繁華を慕って」の主人公阿玖は、音楽家である。
その阿玖と陳君が結婚してからの日々が「繁華を慕って」では語られる。二人の日々と、襲来する鋼鉄人と、そして「弦の調べ」で展開された阿玖の決断の裏には何があったのかを、夫である陳君との交流を描いていくことで記述していく。「弦の調べ」が本編で「繁華を慕って」がその舞台裏ともとれるし、二つを続けて読んで一つの小説として完成するような美しさもある。どちらも悲しく、そして美しい終わり方をしている秀作だ。
他の短編については詳しく触れられなかったが、ここまで紹介してきた三篇はいずれもSF的な設定を作りつつ、社会の中で生きる人間の感情に丹念に向き合っていく小説である。彼女の書く社会のイメージは現実の社会と地続きのものであることが多く、イメージできないほど遠いものではない。
こうした人間像、社会像は、郝景芳がそういう作家を、あるいはそういう生き方を目指していること(彼女は作家以外にも様々なキャリアを持っているし、社会活動にも積極的である)とも相関するかもしれない。彼女の持つ様々な構想を彼女の書く小説を通じて理解するためには、訳者もあとがきで書いているように郝景芳らしい作品が複数収録されている本作はふさわしいのではないかと思う。
[2021.3.8]