戦間期を生きた作家による生々しい創作日記として ――ヴァージニア・ウルフ(1976=2020)『ある作家の日記』(訳)神谷美恵子、みずす書房

バーニング
Aug 31, 2023

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以前小澤みゆきの作った同人誌『かわいいウルフ』を読んだことを、ウルフの書いたこの長い日記を読みながら思い返していた。小澤みゆきの同書はその後話題になり、亜紀書房から商業出版されたことでさらに多くの人に届くことになった。

ウルフの生々しい創作日記とも言える本書は、2020年にようやく新装版として入手しやすくなった(ちなみにこの文章は1976年版によるものである)。そのためウルフに少しでも関心のある人、特に自分のようにまだウルフのことをよく知らない人ほど、積極的に手に取ってほしい一冊である。

ウルフがそのデビュー長編『船出』を送り出したのは1915年。ヨーロッパは第一次世界大戦の影響を多かれ少なかれ受けていた時代である。本書は第2作となる『夜と昼』の完成が近い1918年から始まり、59歳で入水自殺という形で自死を選んだ1941年3月28日の、その直前までの記録が残されている。この時書いていた長編が『幕間』として死後出版され、日本でも最近片山亜紀の翻訳で読みやすい形として読めるようになっている。

死の直前までつづられたこの日記は、ちょうど戦間期に書かれている。つまり、ウルフの作家活動は、戦間期とほぼ重なったことになる。ヨーロッパにとっては束の間の平和を実感する1920年代、ナチスの台頭と次の戦争の足音が聞こえる1930年代、そしてイギリスも戦火から逃れられなくなってゆく1940年代前半。36歳だったウルフがつづり始める約23年間は、20世紀がもっとも揺れ動いた時代だったと言えるかもしれない。その時代に書くことをあきらめなかった、書くことを生きる糧にしていた一人の女性の、魂が込められている本でもある。

創作日記という性格上、創作の困難が多く書かれているが、それを乗り越えて上梓し、出版にこぎつける喜びもまた書かれている。ウルフの小説は数多く書かれているが、それらの一つ一つがどのような関係性の中で生み出されたのかも、本書には細かく書かれてある。

そうした作者による解題は、読者にとってはうれしいファンサービスでもある。後に多くの批評や研究にさらされることになるウルフではあるが、彼女自身が残した言葉もまた重要なのは(これも後にフェミニズムの文脈に位置づけられることも含めると)過言ではないだろう。

具体的に印象に残った部分について触れるとキリがないので、最終盤の一か所だけ。死の二か月前に「戦争はひと休みしている。六日も空襲なし」(1941年1月26日の記述:ウルフ1976:516)とつづったときのウルフは、何を考えていたのだろうか。

でもガーヴィンによれば最大の戦闘はこれからだ、という――たとえば三週間以内に――そしてあらゆる男、女、犬、猫、そして昆虫さえも武装し、新年をしっかりと身につけねばならない――等々。今は寒い時刻だ。光が昇る前。庭にいくつかのゆきのはな。そう、私は考えていた。私たちは未来なしの生活をしている。それが奇妙なのだ。閉ざされている戸に鼻をおしつけているのだ。(ウルフ1976:516)

この直前には自身の抑うつ的な感情にもウルフは言及している。彼女の死の直接的なきっかけは精神疾患だと言われているが、戦争の足音が彼女のメンタルヘルスを極限まで追い詰めたことは、想像に難くない。いまのウクライナ戦争もそうだが、戦争の足音は今を生きている人々の未来や希望を容易に奪っていく。書くことでしかそうした現実に抗うことができなかった、しかしペンはあくまでペンでしかない、というリアリティもまた、ウルフの中に宿っていたのかもしれない。

一人の偉大な作家が生きた痕跡をたどる中で、彼女の死をも同時に匂わせる一冊となっているわけだが、再び戦争の時代を迎えた2020年代の人々にとっても響くものが多い一冊になっている。もちろんそれは皮肉な出来事でしかないから、戦争と、そしてパンデミックといった、ウルフが経験してきた出来事を反復している現代においても、それらが消え去ることをやはり願わずにはいられない。安心して文章を書き、創作物を読める現実こそが何よりも望ましい。

[2023.8.31]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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