「サンショウウオの49日」で芥川賞を受賞した医師兼作家による、最初の作品集。表題作となる中編と、林芙美子賞を受賞してデビューするきっかけとなった「塩の道」を収録している。どちらもいわゆる医療ものであり、表題作は人工肛門を装着している患者視点、「塩の道」は青森の限界集落に赴任することとなった医師の視点で物語が展開する。
まず「私の盲端」だが、最初これを私の盲「腸」だと思っていた。だが、この小説は3行目で「大便を漏らしてしまい」(p.7, 2024)という記述を交えて物語が始まる。つまりこの小説の主人公はおそらく、何らかの事情で腸や肛門に問題を抱えてそうだ、ということはすぐに分かるのである。
なぜなのか、を追っていくと主人公は女子大生の涼子だということが分かる。涼子は料理屋でバイトをしながら就職活動をする大学生という設定だが、ある勤務日に体調を崩して救急搬送され、目が覚めると人工肛門になっていた……という設定だ。時系列がややごちゃ混ぜになっており、現在の涼子の視点と過去の涼子の視点が交差するが、いずれにしても人工肛門を装着することになった涼子の大学生活が展開される、までは理解できる。
その上でこの小説は、排泄のシーンをかなり強烈に書いている。主人公が女子大生で、排泄のシーンを詳細に描写する。ある種のジャンルの官能小説を読んでいるようにも思ってしまうが、落ち着いて読んでいくとこの小説が書こうとしているのはまずは涼子の適応である。病室での動揺、自分で見つけたオンラインの自助グループでの違和感。今の自分を拒絶ことしていないが、葛藤やもやもやを誰かと共有できないもどかしさ。そうした心理的動揺と、排泄の練習が並行するのが、この小説の一つの肝だろう。
もう一つの肝は、同じオストメイトである京平との出会いだ。ある日トイレから出て来た涼子をナンパした京平。当然最初は違和感と拒否感を持っていたが、「人工肛門の話ができるリアル知人」としての京平との関係を断ち切るのは惜しく、京平のペースに乗せられるようにして彼と関係性を深めていく。バイト先でのある事件の後に滑り込んだ京平の狭い部屋、そして衝動的で動物的とも言えるセックスの描写は、この小説の到達点だったと思う。
もちろん、そうした刺激的な経験があってもなくても、日々は続いていく。バイトは辞める必要があるだろうし、大学を卒業したら働かないといけない。たまだま女子大生だった涼子もいずれ歳を重ねるだろうし、排泄も「上手くなる」だろう。京平との関係がいつまで続くかは分からない。だが、オストメイトになった涼子の新しい経験と、その経験を少しずつ受け止めていく柔軟さこそが、この小説の魅力だと感じた。
続く「塩の道」では、福岡の天神近くで働いていた医師の伸夫がいろいろあって青森の診療所に転ずる小説。福岡でも青森でも、伸夫の仕事は看取りである。看取りと死亡診断書は医師にしかできない。だから、と青森の寒村に転じたが、まず目に入るのは冷たい吹雪と、冷たい海だったのだろう。
青森で出会う漁師たちの肉体を見る日々の中、病院や在宅で看取りを続ける日々。看護師とのやりとりよりも目立つのは、伸夫を「招聘した」 自治体の長である大岡とのやりとりだ。大岡のねらいや構想の中に、伸夫の人生はある。涼子とは質が違うが、伸夫の人生もまたここで少しずつ「動いていく」ようにも見える。他方で首長政治家として逞しく生きようとする大岡と、静かに亡くなってゆく老人たちとの差異も際立つ。
引用を挟んで紹介をしようと思ったが、あえてしなかったのはこの作家の描写力を実感してほしいからだ。ストーリーよりも何よりも、涼子の排泄練習のようにその描写をそれほど細かく書くのか! と思わされる小説で、小説という表現の魅力や可能性を存分に教えてくれる、デビュー作品集だった。
[2025.1.26]