帯には 「占領期、55年体制、『改革の時代』を経て、再び自民党が圧倒する現在」とあるが、これはちょうど2023年の世相をよく現しており、出版のタイミングが1年遅ければ(つまり少数与党の石破政権期ならば)帯文句がまた違ったかもしれないな、と感じた。
とはいえ、本書でも言及があるように自民党には平成期に2度下野した時代がある。それでも「政権交代の常態化」はこの国では起きなかった。なぜなのか? を戦後の政治史、政党史から紐解く一冊である。
あとがきにおいて著者は「『現在地点の把握』を主たる目標に置いた歴史叙述である」(p.293)と書いている。つまりこれは、現在から逆算して戦後の日本政治史を描写するという意味だろう。経路依存性という概念が社会科学にはあるが、「現在地点」がどのような「ルート」で分岐して来た帰結なのかを解説するのが本書の狙いなのだと思う。
したがって、ものすごく新しい何かがこの本の中に含まれるわけではないが、「再イデオロギー化」や「ネオ55年体制」というかっこ付の概念は著者オリジナルと見て良いだろう。本書の内容にオリジナリティは多くないが、切り口にオリジナリティがあるタイプの新書、と言ったところだ。そしてコンパクトさを意識するがゆえに雑駁な説明に終わる部分もあるが、「一般教養としての日本政治史」ならこれくらいのものだろう、という説明も著者は行っている。
戦後の政治史は学生時代にも学ぶ機会が十分ではないため、多くの人にとってはこのレベルの知識と情報があれば「日常的な社会生活を送るうえで大きな不足はないはずだ」(p.293)と語るという著者の指摘は正しい。このレベルの議論すら難しいからこそ(そして難しいのは個人の責任ではない)陰謀論が入り込む余地にもなっているのだろう。
この書評もある程度簡潔にまとめようと思っているが、第3章の記述(昭和期)までと第4章以降(平成期~令和期)で大きく二分できる。戦後の政治の混乱期から始まり、であるがゆえに成立した「55年体制」の確立と安定も、しかし永遠ではないことに国民も政治家も直面するのが第4章から始まる「改革の時代」である。
冷戦の終わりにバブル崩壊、選挙制度改革などが引き金となったとは言え、消費税の導入、省庁再編、地方分権改革とここまで大きな改革を立て続けに実行できた時代は貴重である。ゼロ年代前半の小泉政権期であってもここまでの改革を続けることは容易ではなかったからだ。
他方で、金融危機への対応の失敗や消費税増税などを経験した橋本政権は後半に低迷し、その後の小渕、森内閣の成果も乏しく自民党への求心力が低下した時代に登場したのが小泉政権でもあった。北朝鮮訪問やイラク戦争への派遣などインパクトの大きい成果を残した時代でもあり、本格的に新自由主義政策が展開された時代でもあった。「改革の時代」は小泉政権でも継続されたのである。
この時代から約20年を経た日本政治は、自民党の下野及び右傾化、そして民主党の躍進と失速を経験して「再イデオロギー化」することで「ネオ55年体制化」していったというのが境家の見立てである。戦後の日本政治において憲法の擁護/批判と保革の対立が鍵になっていたが、2010年代に再び左右の対立が台頭するのである。
この時代は保革ではなく(ネット)右派/右翼対リベラルという概念の変更が起こる。右派(保守)の自民党中心の政権に対して、少数の野党(リベラル)が対抗する構図の中で長期化した安倍政権期において「憲法改正を達成させない」という機運はむしろ高まった。しかしそれは同時に、戦後の社会党と同様に「政権交代を目指せない」体制、いや、目指「せ」ない体制の再構築だったのだろう。かつての社会党が憲法改正拒否権ラインである1/3を死守することを目標としたように。
橋本行革によって内閣府が誕生し、その後も官邸への権力集中が成されていったが、これは昭和の時代にはなかった体制である。しかしながら憲法改正という「未完の問題」は自民党と野党それぞれを未だに拘束している。時代が変わってもなお憲法問題が日本政治にしっかりと根付いているというのは『憲法と世論』などの著書がある著者らしい見解ではあるという譲歩はつくと思うが、憲法という「未完の問題」が「ネオ55年体制」に結びついているのであれば、問題をクリアするか、あるいは問題を問題としない(憲法を対立軸にしない)やり方でなければ「ネオ55年体制」の次に進めないことは想像できる。
石破政権においても再イデオロギー化した政治から逃れることは容易ではない(選択的夫婦別姓や同性婚など)だろうし、少数与党体制では強くなった官邸機能も思う用には作動しないだろう。こうした状況下においてどのような形で目の前の課題(とりわけイデオロギー化したイシュー)を突破する/できないのかも含めて、見ていきたい。
[2024.12.30]