武井麻子は以前読んだ『感情と看護』が面白かったので、この本も手に取ってみた。
『感情と看護』でも感情労働について多くを記述していたが、あくまで話題は看護師における感情労働の問題であった。そこでもう少し対象を広げた一般論として書く本作を手に取ってみた次第。感情労働の概念を提示したとされる社会学者のホックシールドの議論も引きながら、看護師をはじめとしたさまざまな対人援助職やサービス業における感情労働の問題について武井は掘り下げていく。
これはホックシールドの議論もそうであると思われるが(原著それ自体を読んだことはないのだが)感情労働の否定ではないし、逆に全肯定でもない。多くの感情労働的な業務にあたる職種の人に共通する心のすり減りについて分析することで、あらかじめ無為に疲弊することを回避するために提示されたのが感情労働の概念だと思っている。
例えば入山章栄の『世界標準の経営理論』でもホックシールドが例示した客室乗務員の感情労働の話題に触れられている。この本では「客室乗務員が感情労働で疲弊しがち」であることをメタ視点でとらえることで心の消耗を回避することが実際の研究を例に挙げられていたのが面白い。つまり、感情労働自体は回避できないが、「感情労働による消耗」を削減することは可能だというアプローチだ。
武井麻子は本書の中で、感情労働と合わせて「共感ストレス」と「共感疲労」と言った概念を例示する。「感情労働による消耗」を具体的に抽出することで、どのようなシチュエーションで消耗しがちなのか、そして消耗した際に起きる問題はいったいどのようなものなのかを描写しようとしてている。「白衣の天使」と呼称されがちだが実際はそうではない看護師にとって、しかし翼を持たない看護師は「偽りの自己」であることにも苦しむ。期待される像と、実際の像のズレ、そしてその結果提供される看護は患者を救いうるのだろうか。
第3章ではR.D.レインの言葉も引用されている。レインの言葉を引きながら武井は次のように述べている。
どんなに尽くしても患者の命を救うことができないとわかったとき、認知症や意識障害で反応が返ってこない患者を相手に忙しく働いているとき――看護師には、自分のやっていることが虚しく、無意味なことのように感じられます。そのとき、患者は挫折感を生み出す「反応のない、取り付く島のない他者」そのものです。(p.100)
看護師に限らず、相手の反応を期待することが前提にある職業は多い。もちろんすべての看護師が見返りを期待しているとは思わないが、他者のために尽くす職業の意義を放棄してしまうことも難しい。本書にはストレスを認めない人ほどリスクがあるという話題も出てくるが、何かをする/しないという単純な二元論ではなく、その間を生きていくことに(やや苦し紛れかもしれないが)武井は生存戦略を見出そうとしている。
後半には心の知能指数や男脳/女脳の議論など現代から振り返るとそれはちょっと際どい(エビデンスが十分に確立されているとは言えない)のではないかという話題も挿入されるので注意が必要だが、武井の提示する議論の構想は、それこそ武井が本書で指摘しているグローバリゼーションの更なる展開によって重要さを失っていない。感情労働の時代はまだまだ続いていくからこそ、読んでおいてよい一冊だろう。
[2021.5.9]