殺人への抵抗感はいかにして薄れていったのか ――デーヴ・グロスマン(2004)『戦争における「人殺し」の心理学』(訳)安原和見、ちくま学芸文庫

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本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れさせていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。(本書文庫版裏表紙より)

ロシアによるウクライナ侵攻が3月に入ってかなり悲劇的な展開を迎えていた(特にマリウポリやブチャなど)こともあり、なぜ人は人を殺すのだろうかという根源的欲求を知りたかったから本書を手に取ってみた。

ただ本書の問いは予想とは少し角度が違った。本書の問いはまず、第二次世界大戦における発砲率の低さへの疑問からスタートする。そしてこの発砲率の低さがベトナム戦争時には「改善」されたことに着目する。ベトナム戦争では、発砲率が上昇していた。それはなぜなのか?という問いである。

これに対する一つの回答は第3章で紹介されている。

ピーター・ワトソンの「精神の戦争」によれば、マーシャルの調査結果は学界や心理学・精神医学の分野ではおおむね無視されてきたが、アメリカ陸軍はきわめて真剣に受け止め、マーシャルの提案にもとづいて数多くの訓練法が開発されたという。この訓練法の変更によって、マーシャルの研究によれば朝鮮戦争では発砲率が五五パーセントに上昇し、さらにスコットによればベトナムでは九〇~九五パーセントに上昇している。(中略)軍の指揮官というものは、いざ戦闘となったとき、配下の兵士の大多数が務めを果たさないなどとはどうしても信じられないのだ。だがこれらの懐疑論者は、第二次大戦以降に取り入れられた革命的な矯正法や訓練法の有効性を正しく認識していないのである。(p.91)

この、「革命的な矯正法や訓練法」によって、兵士は戦場での発砲率を向上させることができた。本書ではベトナム戦争の事例が多く紹介されるが、長期的なゲリラ戦となったベトナム戦争では、誰が敵であり、的でないかの判別も困難になっていく。そのため、自分が生きるため、あるいは仲間を守るために引き金を引く必要にかられていった。そしてそのことは、多くのベトナム人を殺傷しただけでなく、PTSDという形で兵士たちの肉体にも刻まれてしまうのだ。

2022年のウクライナでもそうであるように、実際に残虐な行為は多発している。そのため、「殺人の抵抗感」というイメージは沸きづらい。むしろ、具体的に何が殺人を加速させているのだろうと考えてしまう。実際にこの問いについても本書の中盤以降に分析する形となっていて、グロスマンは4つの心理的距離があると提示している。

それは、単純に対象者と距離があるという物理的距離でけではなく、心理的距離が重要になっているということ。心理的距離には、社会的距離、倫理的距離、文化的距離、そして機械的距離などを含み、この距離が近ければ抵抗感が強く、遠いのであれば抵抗感は薄いという説明をなしている。

そしてこうして殺人への抵抗が薄れた先にあるのは、さらなる残虐行為だ。民間人の虐殺や虐待、強姦といった残虐行為がどのように生じるのかも、後半に詳しく分析している。

第31章「殺人の反応段階」では、死の受容理論で有名なキューブラー=ロスを引きながら、殺人にも同様の心理的段階が存在するのではないかという仮説を提示している。これはつまり、最終的には殺人を「受容」する心理的な構造が、人間には備わっているのではないかという仮説でもある。

それでもグロスマンは最初の問いである、殺人への抵抗感に戻る。「等しく重要なのは、なぜ人は人を殺さないのか」、「人間のうちには、自分自身の声明を危険にさらしても人を殺すことに抵抗しようとする力がある」(p.505)といった形だ。つまり、社会全体においても、人が人を殺さなくても良い方向に持っていくことができるのではないか?という希望を提示しているし、そうした社会や人間の心理的な安全装置の存在や作用を解明することも殺人学の目的だと最後に述べている。

いかに人が人を殺さなくてよいかを探るために、人が人を殺してしまうメカニズムを探る。なるほど最後に提示される答え合わせとしては、非常に興味深いものであった。

[2022.5.7]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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