2016年に韓国で独立系書店を開店した著者が、2018年に出版したエッセイの翻訳。書店でもある葉々社の出版事業は以前から気にかけているが、2024年だけで韓国の本を2冊翻訳することになっているのは今の出版トレンドとも相関する流れであるだろうし、他社(特に大手の社)が手掛けないようなニッチジャンルを持ってくるのが面白いと思う。
著者の社会人時代の経歴や、開店までの不安に満ちた日々。そして、独立系書店開業後に思わず忙殺されて戸惑いながら前に進んでいく日常を書いたこのエッセイを読んでいると、2024年の本屋大賞翻訳部門を受賞した 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』を思い出す。この小説も当初はエッセイだと思っていたが、ノンフィクションのような手触りで展開してゆく小説であり、面白く読んだ。
本書はエッセイなのでもちろんノンフィクションだし、適宜著者の読んできた本からの引用文が効果的に挟まれる方法には自己啓発本っぽさもある(それが良くない、というわけではなく特徴として)。そしてその引用が内沼晋太郎であったり、幅允孝であったりするのが面白い。韓国の小説を読んでいて日本の固有名詞が登場することはもはや珍しくはないが、こうした名前を見るといかに「ガチで」本屋をやろうとしているのかがよく分かる。
著者は日本を頻繁に訪れており、特に下北沢のB&Bを訪問したエピソードは細かく記述されている(そして内沼とのコネクションが生まれる)。本書が日本に翻訳されたのは、単なる韓国ブームというだけではなく、著者の生き方を考えると「そうあるべき」だったのだろう。
前半部、組織での労働を辞めて独立し、店を開店するまでのエピソードは多くの独立開業者にありがちだとも思う。コストのことが気にかかって心配になるとか、毎月の給料の振り込みがなくなる不安だとか、本当にお客さんが来るのだろうかといった不安だ。ただ著者の店はむしろ当初の予想を反して「忙しくなりすぎ」てしまう。そのため後半部は、いかにして持続可能な店を続けるかに焦点が移ってゆく。
このように、店を続ける上での葛藤や逡巡を赤裸々に書いている点が本書の最も読み応えのある部分だと感じた。つまり、単に店を続けるということだけを考えればコストとベネフィットの話に集約すれば良い。だが、著者は自らに問う本はどこで買っても中身が同じなのに、うちで買うようなお客さんに対して自分が何をできるのか、すべきなのかと。1対1で話を聞く時間を設け、そのあとに「本を処方する」という独自のカウンセリングプログラムは好評で売り上げにも貢献したが、そのことが著者を逆に追い込んでゆくのである。
オンライン書店で本を購入すれば、当日配送に割引、ポイント還元まで受けられるのに、「私的な書店」で紹介された本は「私的な書店」で買いたいと、配送注文で店を応援してくれるお客さんたちの気持ちも、大きな力になりました。本屋はお客さんに「この店の推薦であれば信用できる」という信頼を植え付け、お客さんが「合理的消費」ではなく、「投票的消費」でその価値を認めてくれるのなら、小さな本屋もオンライン書店と張り合えると、固く信じるようになりました。(p.191)
マーケットにおいて重要なのは希少性であり、他の財との差異化であるわけで、著者はこの二つの実践を追い求めて来たのだと思う。その上で、ハーシュマンの忠誠(loyalty)、あるいは「ファンベース」という概念を思い出しても良い。葛藤や逡巡の上にたどり着こうとしたのは持続可能な店舗運営であるとともに、本というマーケットの中でしっかりと存在感を放つことなのだろう。
持続可能な形で店を続けるという著者の試みは現在も形を変えて継続しているようで、今後も微調整を続けながら運営が続けられるのだろう。そのプロセスを発信してくれる著者の言葉は、後に続こうとする人や未来の顧客の両方にとって、頼もしいものであると思うし、日本にも深い縁のある著者の奮闘記をこうやって日本語で読めるのは良い経験だった。
[2025.2.4]