珠玉かつ濃厚な作品集 ――イーユン・リー(2012)『黄金の少年、エメラルドの少女』(訳)篠森ゆりこ、河出書房新社

バーニング
5 min readApr 14, 2019

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リーのデビュー短編集『千年の祈り』を読んでリーの小説を初めて知ったが、正直最初のいくつかの短編以外はさほど大きなインパクトがこなかった。しかし第二短編集となる本作はちょっとすさまじい。たとえば最初の短編(中編といっていいくらいの長さではあるが)「優しさ」のなかにはリーが表現しようとしているあらゆるものがつまっていると言っても大げさではない。翻訳では一番新しい長編にあたる『独りでいるより優しくて』に通じる少女同士の濃密な関係性(身体的なものというよりは、心理的な)や、現代中国をベースにしたロマン、そして常に近くにある誰かの死。

リーの小説には中国社会の時代背景がその都度いくらかの濃淡はあれ、重要な要素として混入している。その視点からいくと100ページほどの長さを持つ中編「優しさ」は濃度が濃いと言っていいだろう。18歳で軍に入隊したころのことを思い出す回想中心の小説で、当時6歳年上の上官だった魏(ウェイ)中尉と、「私」に多数の文学作品を紹介してくれた60代の杉(シャン)教授とのやりとりを一つずつ思い出していく。

杉教授は私にディケンズやロレンスといった小説を紹介し、私は熱中する。これは理系の研究者の家庭に生まれながら文学作品に熱中していくリー自身を重ねているかもしれない。そしてそのことをリーの両親からはあまり快く思われないところは、ウェイ中尉にロレンスの小説を発見されてしまったときのやりとりにダブらせているかのようだ。

もう一つ「優しさ」の中で重要なパートは寄宿舎での生活だ。軍に入ったとはいうものの戦闘シーンのような激しいエピソードは描かれずに、中尉や教授、そして寄宿舎での同僚たちとの関係性が中心だ。「優しさ」の寄宿舎での描写を読みながらすぐに思い出したのは最新作『独りでいるより優しくて』で、ある地点からの回想という形式を多分に含んでいるところも合わせてよく似ている。

さらに言うと、本作も思い出すこと自体が重要なのではない。過去から現在は何らかの形で続いているし、当然歳の離れた杉教授は現在ではすでに亡くなっている。私の近しいところでも様々な喪失がある中で、では私は何によって生きていくことができるのだろうかという不安を救うヒントが回想の中にあるのだろう。いますぐに触れられない優しさも、思い出の中に手を伸ばすことでわずかに触れることができる。あるいは、ディケンズやロレンスを通じて、静かに。

(リーはこちらのインタビューの冒頭で幼い時代のころについて触れている:http://www.nytimes.com/2014/02/25/books/yiyun-lis-kinder-than-solitude-echoes-a-beijing-childhood.html?_r=1

中国の時代背景という要素が重要だという話を書いたが、リーの書くキャラクターは(これもリー自身がそうであるように)たびたび越境をする。その越境の功罪をリーらしいスタイルで敏感に書いたのが「獄」だろう。アメリカでの生活を送る一蘭(イーラン)と羅(ルオ)の間にはジェイドという一人娘がいたが、16歳のときに交通事故で亡くなってしまう。その喪失を埋めるために二人は中国に飛び、扶桑(フーサン)という女性に2万元を支払って代理出産を依頼する。

一蘭と扶桑は中国に滞在しながら関係を深めていくが、「母親になる代わりに私たちが払った代償」を多く目の当たりにしてしまうのだ。この小説がうまいのは「私たち」の代償としてあるところで、代理母である扶桑の痛みを少しでも引き受けたいと思う一蘭と、結局のところそんなことはできないのだというあきらめがこめられている。あきらめを背負いつつも、子どもはいずれ産まれる。そうでなければならない。だからこその、二人にとっての獄。社会とは残酷だ、と安易に言ってしまうときに、オリエンタリズム的な偏見が多分に隠れていることだろう。

一風変わった短編として「花園路三号」という人生の下り坂に入った男と、夜の街で生き続けた誇りを持つ女の話がけっこう好きだった。どちらかというとシリアスに寄りがちな物語を書く一方で、『千年の祈り』でもたびたび見られたような現代の中国らしい明るさや楽天さも表現しようとして、それがうまくいっている作家だということを強く感じた。リー自身がアメリカに暮らしながら中国社会を書き続けるのは、社会派の作家としてというよりは一人の文学者として、影も光もどちらも等価に表現したいという欲求があるのかもしれない。

喪失や孤独を優しさや愛情で克服することができるかという、リーの根本的なテーマは表題作の中にすべてはいっている。まわりとは少し異なる家庭環境で育った少年と少女もやがて大人になり、結婚をしてもおかしくないほどの年齢になる。二人の愛情を、解説を書く松田青子は「なんて不器用な愛なんだろう」(p.321)と書いているが、不器用だからこそ際立つ誠実さを書くことこそがリーのねらいなのだろうと改めて思う。

よくよく振り返ってみると、「花園路三号」が象徴的なようにどの短編でもそこまで器用な恋愛をこなす男女は出てこない。そしてだからこそいい。だからこそ、人の思いの深さに触れることができるのだ。優しく。

[2019.4.14]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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