現代の都市における不安と不穏を多彩に ――ピョン・ヘヨン(2019)『モンスーン』(訳)姜信子、白水社エクス・リブリス

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2019年に刊行されてすぐ購入したが、なぜだかすぐに読むことができずに二年近く積んでいてようやく読み終えた一冊。最初の短編でもあり表題作でもある「モンスーン」を読んでこの本の特徴を掴むことができたので、その後は割と流れるように読むことができた。

「都市という森に取り囲まれ、いつのまにか脱出不可能になる日常の闇を彷徨う人たち」と本書の帯に記されているが、確かにこれは現代の都市において成立する物語群だなと感じた。一つ一つの短編を読む中で積み重なっていく読み手の側の感情は、なかなかにすっきりしない。そうしたもやもやした読み手の感情を、ピョン・ヘヨンという作家は上手に、そして多彩に醸成している。

現代の韓国はソウルを中心に都市部への集住が進んでいて、それにつれて不動産価格の高騰が止まらない構図が出来上がっているが、他方で労働者の待遇やそもそもの就職難の問題など、いわゆる都市問題は山積しているのが韓国だろう。先進国の中での突出した出生率の低さもこうした都市問題が背景にあるだろうことは理解できる。

ゆえに、現代の韓国の都市部で暮らすということは、労働にしろ生活にしろ、あるいは結婚や出産にしろ、不安に満ちている。そうした不安は不穏さという姿になって、物語の端々に表れている。子どもが謎の死を遂げたあとの夫婦を描いた表題作や、病気に侵された父が逝ってしまった現実を冷静に受け止められない子どもの様子を描いた「少年易老」など、生活の中に死が入り込むことでさらに不安は強くなっていく。

そうした状況に追い込まれてしまうと「脱出不可能になる」のは容易に想像できる。他方で、「散策」や「カンヅメ工場」のように今いる場所から脱出したものの……といったタイプの不穏さも描く。ただ単に住む場所を変えたところでグローバルな資本主義からは簡単には逃れられないということかもしれない。

あるいは、それでも現状よりマシになると思いたいがゆえの脱出なのかもしれない。ただ「散策」の場合は人事異動による脱出なので主体的なものではないし、場所を変えたことで不穏さに取り込まれてしまうお話なので、移動は救いでもなんでもないという残酷さを書いているとも言える。

本作はサスペンスやホラーと言うことはできるだろうが、はっきりと謎を解明するタイプのミステリーではない。最近だと『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』まわりの言説がそうだったが、丁寧に最後まで説明を尽くすタイプのコンテンツが良心的だと評価される向きもある(もちろん説明しすぎだという評価もある)中で、ピョン・ヘヨンはその逆をいくタイプだろう。説明することよりも、表現すること。私たちの現実ってこんなものじゃない?と提示することを目指しているように見えた。

つまりそれは、説明されないことや解明されないことに囲まれながら生きている現代社会の、構造的なゆがみが生み出す不穏さがあちこちに存在することを、小説という形を借りて告発しているようなものである。ドキュメンタリーやノンフィクションのような題材を、あくまでフィクションとして料理して読者にコースで提供する作家だとピョン・ヘヨンをとらえるならば、なかなかに恐ろしい才能である。

[2021.4.10]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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