本作で太宰賞を受賞してデビューすることになった津村記久子だが、改題前の「マンイーター」よりこちらの方が味わいがあっていいと思う。元々津村記久子には強い関心がなかったが、普段から親しくしているだいもんじさんのレコメンドということで読んで損はないだろうと手に取った一冊だった。
大学生、それも4年生の終盤期を小説にするのは一般的には珍しいのではないかと思う。大学生活の間ずっと公務員試験に全力投球してきた主人公のホリガイは、おそらくは就職氷河期であろうこの世代の中でも卒業後の居場所を確保できた一人として描写される。一方で175センチある身長と処女という自分の経歴は、なぜ自分は女として相手にされないのだろうという不満やこじらせと無縁ではいられない。
そのホリガイの残された大学生としての日々が、あまり方向性のないままつづられてゆく。ある時は男友達と酒を飲んだり、酔いつぶれた女の子を部屋に泊めたりしている。ある時は学内の就職セミナーで後輩相手にしゃべらないといけなくなったが、自分のような立場で人前でしゃべっていいのかと不安になる。ある時は日本酒の検品バイトという、地味なのかしんどいのかよくわからないバイトを自分より若い男子大学生と一緒にする風景が描かれる。
この中で描かれる大学生の終盤期にあるのは、気怠さとままならなさだなと思った。もう終わってしまう大学生活を小説として書くのなら、あまり大なことを書くわけにはいかない。必然、誰と誰が付き合ってるとか、あるいは誰と誰がうまくいかないとか、就職が決まってるとか決まってないとか、そうしたパーソナルな事象が中心になる。これが一年前の出来事であれば、朝井リョウや浅倉秋成のように就職活動それ自体を主題化することもできたが、そうはしない。
では、本当に気怠いまま大学生活がなんとなく終わっていくかというと、そうも書かない。大学生のような青春期であっても人生の「ままならなさ」が覆い被さるし、それが自分の人生の重要な鍵になっている可能性があることも示唆される。そもそもホリガイはなぜ公務員を志望したのか、その中でもなぜ児童分野を志望したのか。ホリガイは自分のそうした希望を、おそらく周囲に大々的に口にする性格ではない。つまり読者はしっているが、小説に登場する友人知人たちは知らない可能性が高い。
この、「身近にいるはずなのに何も知らない」も大学生にとっては割りとあるあるなのだろうな、と思いながらだらだらと読んでいたところで終盤に挟まれるイノギさんのエピソードはなかなかに響くものがある。穂峰くんにしてもそうだ。ホリガイの人生も「ままならない」ことは多い。でも彼女の周囲にいる人間にもまた「ままならなさ」は存在していて、その状況を抱えながら生きることは容易ではない。
「君は永遠にそいつらより若い」というタイトルはいろいろな読み方ができると思う。君、が誰を指すのかについては必ずしも特定の一人じゃなくていい。「永遠」については、死をイメージしてもいいし、しなくても良い。学生時代が終わってすっかり大人になってしまうと、過去の思いでは全部若くなってしまうからだ。そしてその若さはもう永遠に帰ってはこない。記憶の中に閉じ込められてしまう。
そうやって感傷的に物語を終えることもできただろうが、あえてそうしなかったのがこの小説のもっとも優れた部分だと感じる。過去の私たちは永遠に若いままだ。そして過去は過去として閉じ込めればよいけれど、(死を選ばないのならば)現在は現在の自分として生きていく必要がある。若くて自由な時代が終わってしまったね、ではなくて終わったあともちゃんと続くんだよ、生き延びるってことはそういうことなんだよ、でもそれも悪いことじゃないよね? というメッセージを残したことこそがこの小説の最良であり、最重要な要素だったと思うのだ。
[2024.12.12]