「複雑なシステム」の厄介さと解決のための第一歩の模索 ――ダニエル・オーフリ(2022)『医療エラーはなぜ起きるのか――複雑なシステムが患者を傷つける』(訳)勝田さよ、みすず書房

バーニング
Jan 25, 2023

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ダニエル・オーフリという著者のことは本書を手に取るまでよく知らなかったが、これまでも内科医としての自身の経験と学術研究によるエビデンスを接続した医療エッセイをいくつか書いてきたようで(いくつか翻訳されている)、その中で医療エラー[medical error]に着目して書かれたのが本書であるようだ。

本書は2016年に発表されたある論文を著者が目撃したところから始まる。アメリカにおける死因の3位が「医療エラー」なのだという。この論文は本当に正しいことを言っているのか? という疑問を持ちながらも、医療エラーがいかにして発生するのか、そのメカニズムの探求へと彼女は向かっていく。論文の正しさを証明する、あるいは反証するというよりは、彼女の関心はいかにして医療エラーが発生し、そしていかにしてそれらを逓減させられるかにフォーカスしてゆくのだ。

その彼女の関心のフォーカスの結果生まれる患者が、ジェイという男性である。看護師の妻を持つ彼は、ある異変をきっかけに病院を訪れる。ジェイについての記述は第2章から始まり、第9章まで続いてゆく(最終的に彼は医療エラーが原因で亡くなる設定である)。つまり本書の前半は、架空の事例を用いた詳細なケーススタディだと言ってよい。

このケーススタディをする中で、オーフリは適宜疑問を投げかけてゆく。例えば「診断エラーを低減するには、最終的には医療の文化の変革が必要になるだろう」(p.93)といった疑問だ。ジェイの場合は診断でまず躓いたことが、それ以降の治療計画の破綻と彼の死につながってしまう。診断に至るための診察の際、現代医療では電子カルテの利用が一般的になっているが、オーフリによればこれがエラーの原因にもなりうるようだ。

EMR(筆者注:電子カルテのこと)を開くと、私の一連の思考とは関係なく、コンピューターの求める順番どおりに記録させられる。これは、EMRが当初請求用のシステムとして開発されたという事実を反映したものだ。あとになって臨床情報が組み込まれはじめたが、最高のEMRでさえ医師が考えるようには考えない。われわれ人間は、EMRの求めにしたがって思考経路を変更しなければならないのだ。(p.118)

人間の思考を記録するための道具が、道具の都合によって人間が思考させられる。こうした転倒は機械化やデジタル化の進んだ現代社会ではおそらく珍しいことではない。エラーしないための仕掛けを組み込んでいなければ、今回のジェイのケースのような診断エラーを防ぐことは難しいのだろう。

また、医師を中心とした医療従事者の過重労働は日本でもたびたび指摘され、働き方改革の導入が模索されている。しかしオーフリによると、それはエラーを減らすかもしれないが、エラーを引き起こすかもしれない。

レジデントがもっと睡眠をとるべきだという意見には、私ももちろん全面的に賛成だったが、この妥協策が患者の益になるか害になるかはよくわからなかった。引き継ぎがおこなわれるたびに、治療は断片化する一つながりは破れ、詳細は失われ、細部はあいまいになる。 対応にあたるレジデントは、先を読んで治療するのではなく、患者がそれ以上悪くならないようにするので精一杯だ。単純に十分な時間がないのだ。 勤務時間を減らす介入は、こうして、皮肉にも引き継ぎ回数を増やすことでエラーを増加させてしまう可能性がある。(中略)
医療上の有害なできごとの最大半数が、医師のチーム間、医師と看護師間、医療チームのメンバー間のいずれであるかを問わず、引き継ぎ時のなんらかのエラーが原因である。
(p.169)

このほかにも患者家族の話や看護師の話をもっと聞くべきだ(患者のそばにいるキーパーソンであるから)とか、官僚主義的なシステムだとか、アメリカのヘルスケアシステム全体の問題だとか、エラーを引き起こす要因が多岐に渡っており、本書の副題にある「複雑なシステム」が患者に害を与えていることがオーフリの経験と様々な先行研究が示してくれる。

ではどうすればいいのか。第14章「頭を使え」で示されているのは、人間の「認知」のクセを意識することで、発生しやすいヒューマンエラーを減らす試みである。確かにシンプルだが、意識的に行うことで効果がありそうだ(行動経済学の応用にも思える)。

「複雑なシステム」が前提である以上、医療エラーがゼロになることはおそらくない。そのため、いかに減らすことができるのかが現実的な模索なのだろう。そのために、まずは「複雑なシステム」の複雑性を本書を通じて、ジェイの悲劇とオーフリの経験を通して学ぶことが第一歩なのだろうなと感じている。

また、前述したように本書はアメリカのヘルスケアシステムを前提としているため、アメリカの医療の実態だと割り引くこと(即座に自分のカントリーに当てはまるとは限らないこと)も必要だ。いつか日本の医師がこのテーマで一冊したためてほしいなと思いながら。

[2023.1.25]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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