神戸というまちがよりよく理解されることで、見た目の美しさだけではなく、つらさや苦しみを抱えたこのまちのさまざまな歩みさえも愛おしくなるような、そんな関係が築かれる可能性も開けるのではないか。(p.15)
いわゆる「開港」を出発とする明治期から令和まで約150年間の神戸の変遷を、既存の資料をフル活用して振り返った一冊。アーキビストである著者は戦争や震災といった大文字の神戸の歴史だけではなく、上記の引用に示したように実際に息づいた人々の記録を収集して記録することにも強い関心があるように感じた。
前半部分は資料中心の紹介で、近代化する神戸の都市計画の推移を紹介する。当然その過程で太平洋戦争による戦災を経験するわけで、当時うから大都市であり五大市のひとつとして数えられた神戸は経済的にも重要な都市であっただけに、かなりの疎開を経験したことも記されている。
全9章で構成される本書は、戦中(3章)~戦後処理(6章)までを含めるとかなりの部分を費やしている。それは戦争と占領、戦後処理がこの街に与えた影響がいかに大きかったということが詳細に伝えられる。
他方で、戦時中というよりは戦後のエピソードだは、個人的に面白かったのは戦後の三宮で闇市が安全で楽しい場所であった、という複数のエピソードの紹介の箇所である(第5章)。「闇市」ではあるが完全に無秩序なわけではなく、一定の秩序やコントロールの下でのマーケットであったこと、マーケットがあるということはそこに当然人々の暮らしがあるということがありありと伺える記述が楽しい。
戦後処理を終えたあとの経済発展と都市計画は往々にして膨張しがちではあるが、神戸の場合は山と海に囲まれた環境を生かした都市設計に転じたことや、官民のパートナーシップによる開発が昭和の時代から実践的に行われたことが紹介されている(7章)。このパートナーシップがあってこそ、8章で語られる震災と復興の経験や、新しい「神戸」を目指す近年の動きにもつながりうるように思えた。
故に本書は最終的にBE KOBEというキーコンセプトや、シビックプライドの話に収斂させる。バブル崩壊後に震災を経験した神戸が選択したのは、膨張的な経済発展ありきではなく、環境にフィットした生活であるとともに、人々の活動が多様に展開される場所としての「神戸」を目指す試みであり、事例が様々紹介されている。その上で、実際に生活する人々にとって神戸とはどのような街でありたいか/あるべきかの議論や実践の紹介で締めくくっている。
最終第9章後半と 「おわりに」では、未来の人たちが「神戸」を語るための環境整備の意義、例えば資料収集の方法や、公文書の管理や公開、「アーカイブする人」を意味するアーキビストの存在意義について語られる。とりわけあっという間に消費されて失われるデジタルデータを含めて記録を残す意義はこれからも変わらないだろう。駆け足な部分はあるが、先人たちが遺してきたものがあったからこそ村上による本書が完成したということも一つの感慨として受け止めるべきなのだろう。
[2025.1.17]