韓国社会にとっての戦後と民主化 ――崔銀姫(2021)『韓国のミドルクラスと朝鮮戦争――転換期としての1990年代と「階級」の変化』明石書店

本書を手に取った理由は最近読んだ斎藤真理子の本の影響が強い。そして派生して読んだ李明俊の小説『広場』の影響も大きい。本書でも分析の対象になっている反共捕虜のうち、第三国に逃れた青年を『広場』の主人公に据えているが、その中身は戦争小説というよりは青春小説そのものであった。哲学を学ぶ主人公の思い悩み、二人の女性との出会いと別れを経験しながら時代の潮流に飲み込まれていく青年の内面を非常に詩的な文章でつづった小説で、韓国では教科書にも載るような小説になっているらしい。

そんな韓国社会に大きな影響を与えている『広場』についても本書はわずかながら言及されているが、あくまで主眼は韓国のミドルクラスの変容を描くことである。韓国社会にとって大きなターニングポイントになった1980年代は、光州での市民運動の展開と失敗、1987年の民主化抗争の成功による民主化の達成、そして1988年のソウルオリンピックなどを経験した時代である。

1980年代は大きなイベントが続くが、本書によるとそのあとの時代である1990年代の韓国社会の変容を分析したものは少ないようだ。1990年代は、民主化による言論・表現の自由の到来と、朝鮮戦争の戦後40年がクロスしていく時代になる。本書はマルクス主義的な階級概念を積極的に分析の道具やフレームワークとして導入し、時代の振り返りと議論を展開してゆく。

本書は、韓国における1990年代の性格を「転換期」としつつ、その「転換期」の中核的主体としてミドルクラスに注目しながら、1990年代の韓国社会とミドルクラスとの関わりを文化社会学的なアプローチから考察したものである。(中略)振り返ってみれば、1987年の「民主化抗争」後の国民直接投票による大統領選挙や、そして88ソウルオリンピックの開催が終わってから2000年代の21世紀の始まりまでの間である1990年代の韓国社会への考察は比較的少なく、更に1990年代の韓国社会のミドルクラスとの関係性を重点的に考察した先行研究が十分ではなかったことも執筆の背景にあった。(p.194)

その韓国社会のミドルクラス、言わば中間層の生活実態を探るような社会学ではなく、あくまで本書は意識の変容に焦点を当てている(ように思えた)。本書で分析の対象として言及されている二本のドキュメンタリー番組は、韓国にとって終わらない戦後を探るものでもある。それぞれ『韓国戦争』(KBS製作)と『76人の捕虜たち』(MBC製作)と名付けられた大型ドキュメンタリーシリーズであり、いずれも朝鮮戦争が韓国社会、とりわけナショナリズム意識にいかに影響を与えたかを本書は深く探ろうとする。

斎藤真理子が先程挙げた本を書いた理由は、いつか朝鮮戦争について書きたかったからだと述べていた。確かに朝鮮戦争が韓国の人々にどのような影響を与えたのか、社会の中の分断がどのように形成されたのか、そしてそれらの影響が現代にどの程度根を張っているのかは、日本サイドからはほとんど知ることができない。本書がユニークなのは、民主化後の1990年代に作られたドキュメンタリーを分析することで、民主化後のナショナリズムを観察しようとしたことだろう。

(朝鮮戦争への言及は、48分~49分あたり)

2022年現在もいまだ達成されない(その兆しが見えない)南北統一のリアリティを形成するためには、過去を探ることが第一歩になる。もちろん統一されるされないと関係なく、韓国人(朝鮮人)という民族がどこから来て、どこで分かれ、その後どうなったのかを知ることは、単に祖先を知るだけのことではない。『76人の捕虜たち』のように、異国の地に根差して生きる祖先が少ないながらも現実として存在するからである。。これは最終的に船上での自死を選択する『広場』とは異なる未来でもあり、実際に起きた(ている)現実である。

くしくも87年の抗争の成功とソウルオリンピックはナショナリズムの高揚に一役買い、韓国のミドルクラスの存在感を表に出すことに成功した。世界にとっても、民主化した国家であるという意味でインパクトを与えることができた。そしてやってくるグローバル化の時代は脱北者の増加にも寄与しており、現代ではYoutubeなどを利用して脱北者が主体的に情報発信を担うまでに至っているという。

脱北者のイメージの受容に焦点を当てた箇所はそれまでのドキュメンタリー番組の分析と比べるとやや駆け足な印象を持ったが、最近であれば韓国における『愛のむきだし』の受容を見ていても、心理的な意味で北と南の距離は小さくなっているのかもしれない。少なくとも、脱イデオロギー化すること(北の人も自分たちとい非常に似た存在であるということ)には寄与していると言える。

本書ではほとんど言及されていない日本との関係、あるいは日本に対する意識は著者の前著に詳しいようだ。韓国文学をより深く味わうための副読本として本書を手にとってみたが、期せずして韓国社会の戦後史とナショナリズムが繊細かつ複雑に変容してゆく様を見ることができたのは、自分にとって想定外の面白さであった。

[2022.12.8]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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