東日本大震災が起きた翌年の全国コンクールの上位受賞者が、軒並み沿岸部か福島の生徒だった。作品としては言葉が粗削りすぎてみていられないくらい残酷で痛々しいのに、沿岸の人たちが沿岸での実体験を書いたものが最優秀になる。被災地の子が東京の審査員から「いまこんなに大変な時に書いてくれたことが本当に偉い、すごい勇気だ」って評されて複雑な顔をしているのを見て、なんかポカーンとしてしまって。そのとき他人が誰かの人生とか境遇を物語化して評価することに対して、ものすごい暴力性と怒りを感じ、実体験を作品にすることや賞をとることについては、どうでもよくなったんです。
「くどうれいんが語る、俳句・短歌への目覚めとインターネット 「全員を感心させるのではなく、たった一人を打ちのめす文章を」(Realsound、2020年8月1日)
この小説が最初『群像』に掲載された時、そうかくどうれいんが震災ものを書いたのか、と思い込んでいた。ちょうど2011年から10年が経過したタイミングでもあったし、その年の芥川賞候補になったときも、震災の文脈の中にある小説だと思っていた。もちろん、読む前までの話である。
この小説は単行本で110ページほどの中に、2011年から2021年までの日々が詰まっている。主人公がくどうとほぼ同世代で、高校時代に内陸で震災を経験した女性だ。外から見れば被災地だが、内陸に住む人間から見ると沿岸部ではない場所は被災地と言えるのだろうか。自分は被災者なのだろうか。朝ドラの『おかえりモネ』の永浦百音を少しダブらせる存在にも見えるし、実際にはありふれている(東北とひとくくりに言っても、内陸で暮らす人は多い)のかもしれない。
10年分の時間の流れを110ページほどに書く。あとがきによると多くの人に取材をしてこの小説が生まれたらしく、ここに書かれてあるのは綺麗事ではなく、彼女が聞き、感じ、書きたいものを書いて、書ききった小説なのだろうと思う。
とはいえ10年分を書くといっても一つ一つのエピソードを分厚く書くわけではない。ここをもっと広げたら面白そうというキャラクターでも、時間が経過すると再登場することは稀だ。大学時代の恋人・中鵜は印象的な文章を残しているが、彼がどういった経験をしてきたのかを詳しく知ることはもうできない。彼は主人公の中で、もう過去の人だからだ。
1993年に盛岡で生まれ、高2の3月に震災を経験した伊智花が、その後の10年をどのように生きてきたのか。高校生活の終盤に滝の絵に打ち込んだ2011年、大学卒業前に中鵜と一緒に石巻の海を見に行った2017年、社会人3年目になってフリーペーパーの企画をひねり出した2019年、再び絵を描いてもいいかなと思った2021年の3月。
伊智花は架空の存在だが、彼女に重なる人も多いだろうし、そうではないにしても、彼女がこの世界に生きていてもまったくおかしくない。どこかにいそうな、いい意味で特別さのない(ただ、「かつて絵を描くことが好きだった」女性として最後まで書かれているのが良かったと思う。一人の架空のキャラクターを通して、読者もまたこの10年間を振り返ることができるかもしれない。
「これは『震災もの』じゃないな、ということ。どこに居たとしても、みんな震災があった人生で、私たちの日常なんです。この作品をきっかけに、当時のことをしゃべりやすくなる人がいたら、すごくうれしい」
「くどうれいんさん『氷柱の声』インタビュー 「震災もの」ではない、若者の胸の内」(好書好日、2021年8月20日)
芥川賞を取るには少し小説の技巧が弱い(良くも悪くも筋書きがまっすぐに流れすぎている)し、長い間絵を描かなかった主人公が久しぶりに描けるように、という結末が安易だととられたようで受賞はならなかった。とはいえ賞としての評価は置いておいても、繰り返しになるが10年後のくどうれいんがこれを書いたことに意義があるんじゃないか(しかも得意としている短歌やエッセイではなく、小説という方法で)。小説のあとに数ページつづられたあとがきを読んで、そんな実感を強くした。
書き終えて感じたのは「震災もの」なんでものはない。ということだ。多くの方が「話せるほどの立場」ではないと思っているだけで、二〇一一年三月十一日以降、わたしたちの生活はすべて「震災後」のもので「『震災もの』の人生」だ。どこに暮らしていたとしても、何も失わなかったと思っているとしても。だから、この作品は「震災もの」ではない。だれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものだと思う。
(本書「あとがき」、p.119)
[2022.2.20]