表と裏の駆け引き ――一穂ミチ(2014)『イエスかノーか半分か』ディアプラス文庫

バーニング
4 min readApr 25, 2017

以前読んだ『ステノグラフィカ』で一穂ミチというBL作家に興味を持ったがいろいろな人がまず読むならこれ、という形でプッシュしていたのが『イエスかノーか半分か』あった。最近『横顔と虹彩』というシリーズ作品が新作で出たこともあって、一作目と新刊を同時に購入することにした。(新刊にはペーパーもついていたし)

一般社員枠でテレビ局の就活を受けていた国江田計は、その最終面接で鼻濁音の良さを指摘され、一転アナウンサー職として採用されることになった。そうした異端の出自として業界に入った計は、テレビに映る表の顔と、素の自分である裏の顔を器用に使い分ける。謙虚で冷静な表の顔と、自信家で他人を見下しがちな裏の顔。二つで一人であること、どちらも自分であり、どちらかが本当の自分ではないことを自負している、そういったタイプの主人公だ。

計は表の顔で取材したクリエイターの都築潮と知り合い、番組のOPを担当してもらうことになる縁でたびたび取材に向かう。そんなある日、仕事を終えて帰宅中の計は、裏の顔である計として潮と道端でぶつかってしまう。テイクアウトの牛丼を提げて、さらにマスクを覆った状態の計は偽名を使うことで事なきを得るが、牛丼の話で意気投合してしまった今度は偽名を用いた状況で潮と個人的に親しくなってしまう。

こうした二人の出会いから発展までを書いたのが表題作で、続く「両方フォーユー」は二人の前に計の後輩アナウンサーが割り込んでくる三角関係を書いている。二人の関係性を書く前にそれぞれのキャラクターを丁寧に、かつコミカルに書き込んでいくあたりはさすがといったところで、つけくわえて『ステノグラフィカ』よろしくお仕事もの小説としても優れているのが印象的だ。

たとえば計の仕事であるアナウンサー。途中からあることをきっかけに局のベテランアナウンサーの後釜として新番組のニュース番組のMCを担当することになるが、起用が決まるまでの上司とのやりとりであったり、最初の出演に至るまでの計の中での葛藤など、単なる自信家ではない計の姿や計の客観的な評価を鮮明に書き出していく。もちろんそのときに潮の存在は重要だ。自信家である計は自分の弱みをそう簡単に人には見せない。それでも潮に対しては見せられるものがあるのだ。

あるいは潮について言えば取材を受けている際は受けキャラとしての顔を見せながら、それ以外の場面では一転して計に対して攻めのアプローチをとり続ける。潮と懇意になることに関して葛藤もある計と比べると、容易かつ周到にキスへと持ち込んでいく流れはなかなかに「強い」と言っていい。表向きは強い存在である計が強さを唯一発揮できないのが潮、という構図自体は珍しいものではないが、それでもやはり二人が見せるギャップに惹かれるものがある。

タイトルの「イエスかノーか半分か」は計自身の態度や性格を表しているとも言えるし、潮との関係性に踏み切れない心情を表しているとも言える。続く「両方フォーユー」は関係性に吹っ切れた心境が表れていると言えるだろう。

ぐいぐい読者を引き込みながら、仕事の描写ではキャラクターのプロ意識を書くところも忘れない。『ステノグラフィカ』では新聞社や政治の舞台を書き、今回はテレビ局のアナウンサーや個人クリエイターの仕事ぶりを書いて見せた。一穂ミチは器用でバランスのとれた作家だと強く思う。

[2017/4/25]

Sign up to discover human stories that deepen your understanding of the world.

Free

Distraction-free reading. No ads.

Organize your knowledge with lists and highlights.

Tell your story. Find your audience.

Membership

Read member-only stories

Support writers you read most

Earn money for your writing

Listen to audio narrations

Read offline with the Medium app

バーニング
バーニング

Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

No responses yet

Write a response