90年代以降の福祉政治を整理し、ライフ・ポリティクスのためのベーシック・アセットを構想する ――宮本太郎(2021)『貧困・介護・育児の政治――ベーシックアセットの福祉国家へ』朝日選書

バーニング
Jun 17, 2022

戦後政治から2000年代中盤までの福祉と政治の関係を詳細な記述と分析でまとめた『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』という著作があるが、これが刊行されたのは2008年であり、まだ民主党による政権交代もなされていない時代だった。

昨年春に刊行された本書は、90年代以降から現在に至るまでの福祉政治、とりわけタイトルに挙げられたように貧困・介護・育児分野の制度改正の動向を、その時々の政治状況を分析しながら振り返ったものである。そのため、いくつか期間が重複するものの、実質的に2008年の著作の続編と言ってもよいだろう。

2008年の著作の最後に宮本は、ライフ・ポリティクスの政治が重要だと指摘している。少し引用してみよう。

ライフ・ポリティクスという表現は、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズから借りたものである。ギデンズはそれを、「解放のポリティクス」に代わるものとしている。ギデンズによれば、解放のポリティクスとは、人々が伝統や慣習から自由になるための権力や資源の再分配をめぐる政治である。これに対してライフ・ポリティクスとは、これまでの伝統や慣習が拘束力を失う中で、再分配よりもライフ・スタイルの再構築に重点が移った政治である。

筆者がライフ・ポリティクスという時、このような形式的な二分法は踏襲しないライフ・ポリティクスもまた、権力と資源の再分配をめぐる政治である。多くの人々にとって、権力と資源の再分配なくして、新しい生活形成はありえない。(p.175)

2021年に刊行された本書の中でライフ・ポリティクスというワードは(管見の限り)使用されていない。その代わりに本書の核心に据えられているのは、「ベーシック・アセット」という構想である。ベーシック・インカム(すべての市民に対する現金給付)でもなく、ベーシック・サービス(すべての市民に対する公共サービスの提供)でもなく、ベーシック・アセットという構想が重要なのだと指摘するが、これはフィンランドのシンクタンク、デモス・ヘルシンキなどが提案している構想らしい。

ベーシック・アセットにおける「アセット」とは、現金給付や公共サービスも包括しつつ、「コモンズのアセットを重視」(p.22)しており、「コミュニティ、デジタル・自然環境、ネットワークなどが念頭に置かれる」(p.23)としている。さらにロールズの言う基本材にも言及している、かなり多くのものを含んだ概念だ。

例えばコミュニティがアセットになるということは、「包括的相談支援のサービス等を受け、人々が自ら帰属したいと考える居場所や職場をみつけ、そこに身を置くことで現金を回復できる、ということである」(p.24)らしい。本書でも言及されているように、地域包括ケアシステムや、地域共生社会(の構想)を想像すればよいかもしれない。あるいは、孤独対策の政策も、貧困の政治の文脈では関連しているだろう。

これだけ見てもまだ抽象度が高いものの、ベーシック・アセットが重要なのは再分配だけでなく、当初分配を重視している点だ。本書でも指摘されているが、当初分配を重視するアイデアはアマルティア・センの潜在能力(ケイパビリティ)アプローチと重なるところがある。現金やサービスを再分配には一定のコストがかかるし、選別主義をとるのならば利用可能性に大きく差が出るからだ。

そのため、本書が指摘するような「準市場や、包括的な相談支援、地域密着型の社会的投資などが重要」(p.32)といった指摘は、当初分配されたアセットの利用可能性を高めるアプローチも含んでいる。具体的な方法については相談支援のようなソーシャルワークの枠組みなのか、幼児教育や公教育といった社会的投資の枠組みなのかは様々あるだろうが、確かにビジョンとしては一考の価値があるかもしれない。

とはいえ、本書の大部分はベーシック・アセットの構想についての記述ではない。著者も言及しているが、ベーシック・アセットに関してはまだまだ議論の蓄積が少なく、あくまで一つの構想といったところにとどまっている。たた、ベーシック・アセットという構想を切り口にすることによって(つまり、前作でライフ・ポリティクスという概念をキーにしたように)本書の記述が展開してゆくことに意味がある、ということなのだろう。

貧困も介護も育児も、いずれもライフ・ポリティクスと言ってよいほど市民生活に直結した分野であるとともに、とりわけ介護や育児の様態は非常に多様である。介護ならば施設か在宅か、単身なのか同居かによって大きく異なるし、育児もまた両親の就労形態や住んでいる地域の子育て支援に関する資源の差が大きく影響を与えている。

再分配も重要だと指摘を前作で行っているが、これらの福祉政策はいずれも債務超過が続き、財務省が福祉予算を出し渋るという財政制約にさらされる中で制度化が行われていった。こうした制度化の動きや、その後の制約や制度変更について、宮本は3つの軸で説明しようとしている。

3つの軸はそれぞれ「例外状況の社会民主主義」、「磁力としての新自由主義」、「日常的現実としての保守主義」である。90年代以降、自民党の下野や選挙制度改革を契機とした政界再編によって、政治状況はめまぐるしく変化していく。そうした政治状況において生まれた制度や政策は、政治状況の影響を受けざるをえない、というアプローチが宮本の主眼だ(もちろんこのアプローチは、前作から継続しているものだ)。

制度や政策は国政選挙や内閣といった政治状況だけでなく、社会状況にも大きく影響を受ける。本書でも指摘されているように、北欧型の福祉政策を日本に輸入したところで「そのまま導入すればよい、というほど話は単純ではない」(p.278)のである。産業の構造も、格差の構造も違うし、ジェンダーへの意識も北欧と日本では全く違う。つまり、これまでの歴史的な経緯の違いによって、今現在の社会状況が大きく違うからだ。そしてスウェーデンなどの北欧型社会民主主義もケアの社会化などの文脈ではまだまだ模索は続いており、「社会民主主義そのものの刷新という課題」(p.279)という指摘もある。

であるならば、日本は日本なりのやり方で、日本の社会状況に合わせた福祉政策をいかに構想し、展開するかが重要になってくる。ライフ・ポリティクスを重視する政策をこの国が今後も構想・展開できるかどうかは微妙なところだが、過去を振り返ることでそうした可能性がゼロでないことも見えてくる。この30年間、複雑に絡み合う政治状況が残した遺産は何か。夏の参院選を控え、おりしも配偶者控除や3号年金見直しといった話題がのぼる2020年代以降の日本社会を生きる私たちにとって、改めて振り返る価値があると言えるだろう。

[2022.6.17]

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90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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