Life after sometime ――ハン・ガン(2019)『回復する人間』(訳)斎藤真理子、白水社エクス・リブリス

バーニング
5 min readJul 10, 2019

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ハン・ガン『回復する人間』を読み始めて思ったのは、一番最初の短編から百合なので最高だという事実と、百合小説であるところでいうとつい最近綿矢りさの『生のみ生のままで』を読んで今年ベスト級の評価をしていた直後に読んだ本作が、またもや今年ベスト級のインパクトを持ってきたことだ。白水社のエクス・リブリスのシリーズではパク・ミンギュの『ピンポン』に次ぐ紹介となるが、満を持して翻訳された一冊だと感じる。

ハン・ガンがすごいのは、彼女の書く百合には全体的にもの悲しさが漂うところだろう。「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」を順番に読んでかなり体力削られる感じがするけれど、こういう削り方をしてくる文学には早々出会えるものじゃない。 このようにハン・ガンの短い小説を続けて読んでくると、ハン・ガンは「百合作家」というよりは「百合も書ける作家」だと評した方が適切だ。(そりゃそうだ、というツッコミはご愛敬)

本作にはゼロ年代以降に書かれた短編が多数収録されている。世界的に大きなインパクトを残し、日本に紹介されるきっかけにもなった『菜食主義者』的な傷と痛み、あるいは性愛による救いといった要素と、昨年末に翻訳が刊行された『すべての、白いものたちの』のように大切な誰かを失った「あとに生きる」人々の物語が豊富に収められている。

そこにいるのは大切な先輩を亡くした独身の社会人女性や、誰かを愛するために自分が男だったらよかったのにという思いを隠せないクィアなキャラクター、それに加え、破綻した結婚生活から逃れて不倫相手に救いを求めるものの、ベッドの上で何もできない男性……などなど、傷や痛みを抱えたあまたの人たちの人生を、とりわけ先ほど述べたように何かが起きた「あとの人生」を、感情を、生の言葉で彼女は書こうとする。そこには飾りなどいらない。

例えば「明るくなる前に」では歳は違うけれども親しい、仲の良い職場の元先輩を「姉さん」と呼んではばからない女性が主人公だ。 性愛の要素は一切ない。それでも単なるシスターフッドや女性のブロマンスという言葉よりも、「百合」という表現の方がぴったり当てはまるのではないかと思わせてくれるほど、二人の間柄には親密さが際立つ。けれども先ほど挙げてきたように、そういう作風はハン・ガンのごくごく一部でしかない。

チェ・ウニョンの『ショウコの微笑』の表題作や「彼方から響く歌声」も女性同士の関係性を丹念に、継続的に書くことで張り裂けるように切ない感情や、あるいは言葉にできないほど高揚する感情を見事に表現してみせた。それらには一種のドラマがあったとも思う。だがハン・ガンはドラマを強く重視しているようには見えない。彼女はただただ、キャラクターの感情を切実なものとして書く。ストイックなほどに。

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必然ハン・ガンの小説は、どれを読んでいても基本的には静謐で切実だ。もちろんドラマが一切ないわけではない。最近の翻訳だと『ギリシャ語の時間』はドラマ性を帯びた物語と言えるだろう。ただ、多くの場合はきれいに一本の道をたどるように物語は展開していかない。その代りに、それぞれの小説の中で主人公が置かれている状況、環境が刻々と変化していく様が、生々しいいくらいにリアルに実況されているような恐ろしさがある。

この恐ろしさはきっと、フィクションとノンフィクションの境界を失ったような感覚がもたらされるからかもしれない。確かにフィクションを読んでいる実感があるし、近いとは言え舞台は異国である。それでもなぜかどうして置かれた環境は似偏っている。もちろんそれはすでに多くの韓国の若い作家たちが自覚的に書いてきたことであるからその流れにあると解釈すべきだ。

もっと重要なのは、ハン・ガンの書くキャラクターたちの傷、痛みが、切実なそれらが、絶対的な普遍性を持っていることだ。単に似ているだとか共感できるといった次元よりももっと高度にあるものだ。きっとどの時代のどの国の人が読んでも、彼女の書く魂の叫びは届くのではないだろうか。彼女は積極的にクィアを書こうとしているが、クィアと名付けられなかった過去のあまたのセクシャルマイノリティにも、ハン・ガンの書く叫びはきっと届く。切実で、小さくて、嘘をつかないありのままの言葉で書かれているから。

チョ・ナムジュの小説が昨年から商業的にも多くのインパクトを残しているが、やはり現代韓国文学の最前線はハン・ガンだということを改めて感じさせられた。小説家でありながら、まるで詩人のようにキャラクターの感情を言葉につづる。彼女だけが特別な場所にいる。

そして 彼女の書くキャラクターにもまた物を書く人、芸術を創造する人が多く登場する。何よりハン・ガン自身が稀代の芸術家だと言っても過言ではないわけだが、彼女の書く様々なクリエイターたちもまた、彼女の思いを乗せてフィクションの世界で強かに生きるのだ。その生き様があまりにも、美しい。

[2019.7.10]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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