いま何がわかっていて、わかっていないのかを整理する――小泉悠(2022)『ウクライナ戦争』ちくま新書

バーニング
Dec 24, 2022

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今年は小泉悠を見ない日がないのではというくらい、テレビやネット、ラジオなどの各メディアに引っ張りだこだった。その小泉が、満を持して書き下ろしたのが本書である。ちくま新書としては2021年に刊行した『現代ロシアの軍事戦略』の続編としても読めるし、本書から手に取っても理解しやすいように構成されている(おそらくかなり軍事専門的な分析の要素が強かった前作に比べると、本書は意図的にそうしたはずだ)。

本書は全部で5章構成になっているが、2+2+1章という位置づけで構成されている。最初の2章はアメリカのバイデン政権が成立した2021年から、開戦に至る直前の2022年2月21日までの期間。次の2章は「特別軍事作戦」が開始された2月24日から8,9月ごろまでの期間に割いている。

プーチンによるウクライナ侵攻の論理はいかなるものか、2014年にクリミアを電撃的に掌握したのとは対照的に、なぜ今回は短期的な決着に失敗したのか、そして戦況は今後どう展開し、日本を含む国際社会はどのような支援をすべきか、などこれまで小泉が各メディアで発信してきた内容も多分に含みながら本書は展開されてゆく。

そして最後の1章では「この戦争をどう理解するか」という章タイトルで書かれ、この戦争の(いったんの)振り返りと総括が行われている。「はじめに」で書かれている、「結局のところ、大戦争は歴史の彼方に過ぎ去っていなかった、というのが今回の戦争の教えるところであろう。(中略)では、これだけの戦争が何故起きてしまったのか。それは本質的にどのような戦争であるのか。戦場では何が起きており、日本を含めた今後の世界にどのような影響を及ぼすのか――これらが本書における問いである」(pp.20–21)に対して(あくまで暫定的に)最後に答えている形だ。問いの提示→戦争前の振り返り→戦争の振り返り→総括というリーダブルな構成は、多くの読者のニーズに応えるものでもあるだろう。

この戦争は多くのメディアで「プーチンの戦争」とも呼ばれている。つまり、プーチンの個人的な思想信条や、過去のロシアの歴史性やナショナリズムなどに固執するがゆえに、ウクライナをロシアに取り込みたいという欲求が軍事行動につながったのではないかという仮説だ。

少し前に『BS世界のドキュメンタリー』で放映された、「プーチン 戦争への道〜なぜ侵攻に踏み切ったのか〜(原題:Putin’s Road To War)」というドキュメンタリー(アメリカのPBS制作)は、まさにプーチン個人の半生と信条に焦点を当てられたドキュメンタリーだった。彼の根本的な人間不信と、反リベラリズムが戦争勃発の大きな要因だったという仮説である。

小泉悠はこうした仮説について、少なくとも全面的には肯定していない。その理由を、例えば次のように説明している。

プーチンの民族主義的野望説では、この戦争がなぜ2022年2月24日に始められなかったのかを説明できない。本節(第5章「プーチンの野望説とその限界」)で述べたように、軍事的に見ても、ドンバスの人道的状況からしても、ロシアが直ちに介入を迫られるという状況であったようには到底思われない。ウクライナのNATO加盟が近かったわけでもない。にもかかわらず、プーチンに開戦を決断させた動機は何であったのかは、現時点では「よくわからない」と認めるほかないだろう。(p.225)

小泉はこの部分で、スウェーデンやフィンランドへの対応と、ウクライナへの対応の差異を指摘している。前者2か国のNATO加盟問題とウクライナの問題は、プーチンの中ではなぜか一緒になっていないのである。これがなぜなのかもまた、彼の脳内にしかないため今後明かされるか、一生わからないかのどちらかなのだろう。

こうした一連の指摘にこそ、「ロシア屋」小泉の醍醐味を見た気がした。長い間ロシアを観察し、実際滞在し、配偶者もロシア人という彼が「よくわからない」と記述しているのは、どれだけロシアのことを知ろうとしてもわからないことはわからないし、プーチンが2月24日に軍事行動を起こした理由などわからない、という小泉の思索が見えてくるからだ。

「よくわからない」なら本書の記述が不要になるかというと、もちろんそれは全く違う。本書の意義は、現時点で分かっている範囲のことを整理し、第5章では国際政治的、軍事専門的な分析も付している。それだけで本書の価値は十分にあると思われる。

ロシアの軍事行動は日本の防衛予算の再編成といった形で、身近なものにもなっている。アメリカや欧州のロシアに対するコミットメントも変わらざるをえないだろう。今わかっていることだけでも、2020年代以降の未来にとって非常に重要なインパクトを残していることが改めてよくわかる一冊だ。

[2022.12.24]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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