そして兄になる、あるいは妹のアイデンティティについて ――鴨志田一(2018)『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』電撃文庫
シリーズ8巻。怒涛の展開で終わった6巻のあと、7巻で牧之原翔子に関してはとりあえずのハッピーエンド(シリーズはまだ続くけれど)を迎えた物語は、梓川咲太にとって残された課題に向き合っていくための物語へと姿を変えていく、のかもしれない。
8巻はおでかけシスターとあるように、妹である花楓が主役の物語だ。花楓のお出かけをいかにして支援、実現するか。少し外に出る段階から、中学校の保健室登校へ。そして、他の同級生たちと同じように、高校受験へと花楓は挑戦していく。勉強面は麻衣やのどかが、精神面は咲太と、そしてスクールソーシャルワーカーである友部美和子が担う。まさにチーム花楓が結成され、花楓は少しずつ挑戦の過程を深めていくのだ。
いままでは牧之原翔子、あるいは「かえで」関連で医療者(医師や看護師)が登場することがあったが、今回から本格的に学校のSWである美和子が重要な役割を担っていく。美和子が専門職として、あるいは大人としての現実的な方策を考える一方、咲太はとことん花楓の心理にダイレクトに迫っていくのが印象的だ。単に花楓の願い(ウォントと言ってもいい)をかなえるために行動するのが正しいのか、あるいは美和子のようにニーズとウォントを見極めた上で現実的な支援を行うのがよいのか、答えはない。
答えがないからこそ、最終的には花楓自身が決めるしかない。ではどうすれば? 一つは、ずっと家にいえた彼女が持たない情報を提供することである。知らなければ行動することはできない。しかし、「正しく知る」ということは案外に難しい。もろもろの偏見は、人の行動を合理化しない理由にもなる。でもだからと言って、「お兄ちゃんと同じ高校へ行きたい」という花楓のウォントを否定することは正しいのだろうか。
花楓が自分で決めるしかない。そのことをよく知っている咲太は非常にマイルドな戦略をとってくる。なるほどこの方法ならば、咲太がすべてを決めることにはならない。花楓が、自分の意思で決めることにもなる。そこにはもちろん、かえでだったころの経験も、重ねられている。進学という分岐点を前に、花楓とかえでの間で引き裂かれていたアイデンティティの統合を探っていくのも、そのための支援までを構想している咲太はなるほど素晴らしいなと思ってしまった。
それはすなわち、作中でも美和子が直接的に認めているように、咲太がほんとうの意味で兄になっていくプロセスでもある。かえでの兄でもあり、花楓の兄でもある。それが梓川咲太なのである、ということだ。
[2018.11.4]