アンチ・ラブ精神で新しいモデルを模索する、もがきながら ――サリー・ルーニー(2021)『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』(訳)山崎まどか、早川書房

バーニング
Dec 11, 2021

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表題に使った「アンチ・ラブ」と「(愛し合うための)新しいモデル」はいずれも作中からの引用だ。正直この小説は、途中まではどこに向かっているのかがよくわからない。主人公の大学生フランシス、彼女のガールフレンドであるボビー、二人を自宅に招いたジャーナリストのメリッサ、そしてメリッサの夫で俳優のニック。他にも何人かの登場人物がいるが、この小説の大半は先程名前を挙げた4人の間のやりとりで占められている。そして、タイトルにあるように非常に会話が多く取り入れられている小説だ。

カンバセーション、という言葉にも実は何らかの意味が込められていることを小説の後半で知ることになるが、それはさておき、本作は終始おしゃべりをしている。フランシスの部屋で、ニックとメリッサの家で、大学で、フランシスの実家で、旅に出たフランスで。フランシスとボビーは頻繁に移動し、そしてその都度印象的な会話を交わす。

彼女たちにとっては日常的なやりとりなのかもしれないが、日常的な会話で資本主義に対するアンチテーゼや、マルクス主義というワードがひょいっと入って来る。けれども、それは二人の精神性を表すために重要なワードで、突飛ではない。読み進めていくと、二人がなぜあのワードをあのときの会話で発したのかも、少しずつ分かるようになる。

アンチ・ラブ精神。フランシスがボビーとのやりとりの中で発する言葉だ(p.217)。一見、本作は女子大生と年上の男性俳優との間における不倫や浮気をテーマにした恋愛小説のように見える。若い女性が、年上の既婚男性に恋をするという筋書きは珍しいものではないし、何ならリアルの世界でもそうしたことはありふれている。だがもちろん、本作の筋書きはそういうありふれた方向には進んでいかない。この、先行きの見えなさがゾクゾクするほど面白いなと思えるのも、やはり後半に入ってからだ。

ボビーからしたらフランシスの行為は浮気だし(ボビーという女性のパートナーがいながら、既婚男性に恋をしてしまう)、メリッサからするとニックの行為は不貞である。だからフランシスとニックは相互の関係性を秘匿しようとするが、あることをきっかけにあっさり周囲に知られてしまう。しかしフランシスの親を含めた周囲に知られるという前提の上でないと、この物語は筋書き通りに進んでいかない。なぜならば、重要なのはやはり先程触れたアンチ・ラブ精神の模索だからだ。アンチ・ラブ精神を体現するためのモデルを、フランシスは不器用に、そしてがむしゃらに探そうとする。

フランシスの行為をボビーは一見面白がりながら、しかし実際には浮気をされたのは彼女自身であるため、フランシスとボビーの関係性も少しずつ変わってゆく。物語後半のフランシスは、修士課程在学中に小説の執筆を始めたとされる著者サニー・ルーニーがダブって見える(もちろん、意図的に自身の一部を投影したのだろう)。フランシスはどちらかというと衝動的な方で、後から行為の理由を見つけていくタイプだ。他方でニックは人間関係そのものに慎重だし、自身の感情をうまく表明できない。

だから常に攻め気なフランシスと、常に消極的な守りに入るニックのやりとりはちぐはぐなことが多い。純粋なパートナー関係、カップルであるならこの関係は容易に破綻するだろう。フランシスもニックも、互いに本来のパートナーがいるという事実が、ちぐはぐな関係をちぐはぐなまま繋ぎ止めているようにも見える。皮肉なことに。しかしこれが一種のアンチ・ラブ精神の模索であり探求だとするならば、こういう関係を構想したこと自体は評価すべきかもしれない。

フランシスもニックも、それぞれある病を抱えた存在でもある。容易には明かしたくないその事実をいかにして明かすのかも、重要なポイントだ。何も恋愛は健康な男女が実践する戯れ、というわけではない。不健康だから何だって言うのだという気持ちと、いやしかし病を持つという事実は、フランシスとニックをそれぞれ苦しめる。ただその苦しみは非常に人間的で、キャラクターとしての深みを表現することにも繋がっているように思えた。

[2021.12.11]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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