不安と高揚、あるいは違和感と感動 ――山本佳奈子(2019)『中国に関係ないことばっかり 20170905 20180706 福州留学滞在記』Offshore

バーニング
5 min readMay 12, 2019

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大阪は阿波座に「府立江之子島文化芸術創造センター」という箱ものがあって、そこの地下一階に入居してある ON THE BOOKSという小さな書店で購入したのがこのミニコミだった。シンプルな装丁ではあるが気になるタイトルはセンスがいい。山本さんがどういう人なのかは全然知らなかったが、面白そうだし買ってみようというスタンスで買った本。100ページに満たないほどの冊子であるが、ぎゅっとつまった文章には、彼女が福建に滞在した間の不安と高揚に挟まれた日々の記録と記憶がつまっている。

不安と言えばまずは金銭的な不安から始まる。関西人の山本が数年前に沖縄に移住し、しばらく那覇で仕事をしながら生活する。そんな中で彼女が発見したのが、沖縄県と福建省の交流事業だった。仕事を辞め、福建省に語学留学をするに至るパートと、留学の終盤で福建省の観光地などをめぐる研修旅行に参加するパートの、大きく二つに分かれている。内容は福建で書いたものと、帰国したあとに那覇で書いたものに分かれていて、福建に滞在しながら書いた文章にはふつふつと湧き上がる高揚に挟まれた不安があって、那覇で書いた文章にはそうした高揚や不安を冷静に振り返る文面になっている。

まずはかなり久しぶりに「学生」の身分を獲得した気持ちの高まりがありつつ、お金や生活環境の変化、孤独といったネガティブポイントが先行する。また、30を過ぎて仕事を辞めて学生になった身分という不安定さから、たとえば公務員として公費留学でやってきた20代の男性にイライラするというのも、なかなかシビアだ。この男性の鈍感さというか世間知らずさにイライラする気持ちはよくわかる。他方で、授業に遅刻してやってくる韓国人の女性に対する共感は、学校という空間は一人の教師が支配的になりうる場所だ、という感覚は、大人になってしまったら忘れがちなことだなと思った。

そんな彼女は、留学で親しくなれた人は特にいなかったようで(特に後半の研修旅行での他の参加者へのイライラはなかなか面白い。勝手ながら)「とにかく不安。そういった精神的圧迫を感じられなかった期間が、留学生活の約八割」(p.9)というから現実は厳しい。その厳しい空気の中で彼女を救ったのが、kindleで読んだ数々の純文学の小説たちと、食事だった。ふさぎこんでしまう前に小説を読み、現地でしか味わえないおいしいごはんを食べる。

「旅をすることは、さほどエライわけではない」(p.6)と言い切る彼女らしさがよく現れているのが後半に語られる研修旅行に関する記述だと感じた。ここでも他の参加者と自身の差異に違和感を多々覚えながらも、ツアーを仲介業者ではなく省の公務員たちが担うということに好感を抱く。通っていた食堂が急になくなった話や、野外の演劇のパートでも感じたが、著者は人間くささを感じる営みだとか、人が人としてごく普通に他者に配慮できるということを好み、そこに関心が向くのではないかと思う。

これはどういうことかというと、旅をすることの効用を語りたがる数々の人たちへの違和感ともつながっている。旅に出たからすごい、エライとなると、じゃあ逆に地元や国内でずっと頑張っている人たちを軽蔑することになるのではないか。そうであっては、意味がないのでは? という違和感である。

同じアジアではあるが英語圏であるフィリピンからやって来た研修参加者への発言に対する反応にも、著者の思考がよく垣間見える。英語は確かに重要かもしれないが、でもそれは万能でなければ他の言語に優位になるわけではない。むしろ現地の言葉や慣習を重んじてこそ、観光は成り立つのではないか。それこそがダイバーシティ、多文化共生という現代的な意義ではないのか。

80年代前半生まれの山本にとって、沢木耕太郎や高橋歩といった名前はわりとすぐそばにあったのではないかと思う。だからといって、彼らのフォロワーになる必要はないし、むしろならなくてよい。山本が福建省に滞在するにあたって様々得た違和感と感動は、そしてこの本が山本佳奈子という2010年代を生きる女性の、等身大の留学、旅行記であることは、沢木や高橋の本を読むほどよほど現代的な価値があることのように思う。

[2019.5.12]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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