モームの著作の中で『月と6ペンス』と並んで有名なのが本作で、古書店で買って以降長らく積んでいたがこの機会に読むことにした。『月と6ペンス』は学生時代に読み、そのあと『お菓子と麦酒』などの短編集を読むことはあったが本格的なモームの長編は久しぶりに読んだ。
自伝的な小説というだけあって、自身の生い立ちを主人公フィリップ・ケアリにかなりの部分投影しているようだ。生後すぐに母を亡くす幼少期から始まり、青年期を経て医師免許を取得し、サリーという女性と結婚するまでの期間をビルドゥングス・ロマンの手法で書ききっている。
このフィリップという主人公の性格がなかなかの曲者で、ある意味でどこにでもいるような凡人というか、人間関係を全般的にこじらせているというか、なかなか主人公としての魅力があまり強くないタイプの主人公である。ただどこにでもいるようなキャラクターならドイツに留学したりパリで画家修業をしたりすることはないので、このあたりは若きころのモーム自身のヨーロッパ漫遊(?)時代を交えて創作しているようである。
タイトルの絆(bondage)の解釈含めていろいろな読み解きができる本作だろうが、ビルドゥングス・ロマンの王道の小説として読むならば、人生を設計し、様々な人と出会い、経験を増やしていくことで得られるものをひたすらにみつめていく類の小説だろうと思う。つまり、主人公フィリップというキャラクターが他者との関わりの中で何を得て、失い、傷つき、あるいは与えるのか。そうした関わりや交わりの中でフィリップの内面はどのように変化してゆくのか。
平凡な主人公に比べて周囲には常に魅力的でもあり滑稽でもある個性豊かなキャラクターが配置されているが、基本的にはフィリップの内面の変化というこの一点を書くために配置されたものだろうと受け取った。
例えばロマンスを交わしたあとに別れては何度も再び出会ってしまう女性として、ミルドレッドがいる。本作はミルドレッドがどのような人物かを書くための小説というよりは、ミルドレッドに対してその時々のフィリップがどのように対峙していくのかを丹念に書いていることが重要で、面白いのだろうと思う。
彼はコミュニケーションが上手いとは言えないので(特に女性に対して)わざと傷つけることや突き放すことを言ったりしてしまう。そのくせ、キスをしたいだの、恋に落ちているだの思いを巡らせるのだ。どう考えても、面倒くさい男である。
しかしその面倒くさい男は現実の世界にもありふれているし、こと恋愛関係において男女それぞれの面倒くささというものは時代や国境を越えて普遍的なものである。本作の評価には賛否両論あったようで、確かにどちらの立場でも本作を読むことはできる。フィリップやミルドレッドのキャラクターの「ありふれた個性」が、そうした賛否につながっているのかもしれない。
アラサーになってようやく医師免許を取得し、婚約者とも出会い、ようやく人生の第二幕が始まるぞというところで本作は終わる。先の見えない苦悩の日々の終わりが幸福なものかどうかは分からないが、10代や20代のうちにフィリップが経験したものはやはり普遍的なもので、それが何より本作が世界的に長く読み継がれている理由なのだろう。人間の絆こそが、内面の変化にとって重要なのだということも。
[2021.4.2]