12月に新書を出したばかりの小泉悠が共著として名前を連ねていたことでなんとなく手に取った一冊だったが、現代の民主主義(及びその転回や反動)を理解するために重要な一冊だと感じた。まだ終わらないウクライナ戦争はもちろん、中国が対外的に仕掛けている広報戦略(その特徴や失敗について)を知ることも現在の、そして今後の日本にとって必要だからだ。
直近ではウクライナ戦争やアメリカの議事堂占拠事件などが本書でも話題に上がっているが、それらの事象やイベントを分析する際、「ディスインフォメーション(偽情報)」をキーワードとして系譜的に「偽情報戦争」を理解することが必要になっていることが分かる。
また、「ディスインフォメーション(偽情報)」と「ミスインフォメーション(誤報)」の違いについての説明も入門的に行われており、より理解しやすい。最後の鼎談で小泉が語っているように日本語で読める類書が他にないため、単にホットな話題を扱っているだけでなく共著という形をとることで「偽情報戦争」を体系的に記述しようとする試みが非常に良いと感じた。
まず桒原の書く第1章「外交と偽情報――ディスインフォメーションという脅威」、第2章「中国の情報戦――その強硬姿勢と世界の反応」はセットで読むと外交における情報戦の実情と、中国の企みが理解しやすい。桒原に読むとそもそも世論を形成する手段としての手段は様々あり、国家が大々的に行うパブリック・ディプロマシーやプロパガンダ、あるいは近年の権威主義国家が活用しているシャープパワーなどがある。今回のウクライナ戦争でも話題になったハイブリッド戦(在来型手段と非在来型手段の融合)も世論形成に影響を与える。
今回のロシアは対外的なハイブリッド戦は明確に失敗しているが、国内の情報統制や治安維持を行うことにより、国内では一定の成果を収めている(ことによってプーチン支持を維持している)。中国は積極的にパブリックディプロマシーを展開しているが、世界に友人を作るのではなくむしろ敵を作ってしまっている(世論形成の失敗)とも桒原は指摘している。最近だとスプートニクを積極的に引用する在日ロシア大使館のTwitterアカウントも同様の失敗を冒していると言えそうだ。
ちなみに日本の場合、言語的障壁の関係で海外から偽情報が入ってきづらいことも記述されているが、近年の反ワクチンやJアノン言説の広がりを見ていると、英語圏の陰謀論を積極的に輸入する陰謀論インフルエンサーによって偽情報が流通している状況も見られる。大きな世論形成にはつながっていないが、警戒しておいてよいだろう。
また、最初にも述べたがディスインフォメーションをまき散らす偽情報戦は民主主義を揺るがす可能性を持っているし、2021年のアメリカでは議事堂占拠という形で実際に現実化してしまった。
ディスインフォメーションが問題になるのは、それが民主主義の根幹を揺るがし、国家の安全を脅かすからだ。 民主主義社会では、言論の自由や報道の自由、多様な情報へのアクセスが保障されている。ところが、ソーシャルメディアという新たなツールの社会への浸透は、国民の情報への関与の仕方を変容させただけでなく、世論が政府の意思決定に与える影響力を増大させた。さらに心理面では、人間は危機の下で疑心暗鬼に陥りやすく、不安な情報を求めやすくなるが、こうした心理状態にある人々が、物理的空間の制限を受けず瞬時に情報が拡散される技術的特徴を持つソーシャルメディアを介してディスインフォメーションに接すれば、これを容易に信じやすくなり、意図的(「誰かの役に立ちたい」といった正義感など)または無意識のうちにディスインフォメーション・キャンペーンに加担する可能性が高くなる。
そのソーシャルメディアが、 人種差別やヘイトスピーチ、陰謀論やデマ、ディスインフォメーションの拡散と、それがもたらす社会の分断に貢献してきたことは否定できず、実際、ソーシャルメディアの役割については米国を中心に世界的に問題となってきている。(第1章「外交と偽情報――ディスインフォメーションという脅威」、pp.34–35.)
第3章では小泉がロシアの情報作戦を支える思想や理論を解説したあと、第4章では桒原と小泉がそれぞれウクライナ戦争に至る情報戦の成功と失敗を分析している。この2つの章は現在進行形の戦争や事象の理解にもダイレクトにつながる章だろう。第5章では小宮山が情報ネットワークを支えるインフラについて理論や実情を踏まえながら解説し、第6章の現代的な民主主義の危機についても言及している。より広い視野を持って読むためには重要な2章である。
最後、「終わりに」の部分で小泉はこう述べて本書の議論をしめくくっている。
まとめるならば、 情報安全保障について真剣に考えるということは、我々が何を守るのかという本質的な問いそのものということになるのではないか 。情報戦の標的でもあり、また主体でもある日本人一人ひとりがこの 点について考えるきっかけに本書がなるならば、著者一同としてこれに勝る喜びはない 。(p.261)
サイバー空間を通じて大量の情報が流れ込んでくる現代社会において、良い意味でも悪い意味でも一般市民が重要な役割を果たす可能性を持っている。国際政治の舞台においても、むしろだからこそ世論形成と情報戦の関係の重要さは失われない。2023年に出るべくして一冊だったと言える。
[2023.4.18]