傷を引き受け、言葉を手渡して生きていく――ユン・イヒョン(2021)『小さな心の同好会』(訳)古川綾子、亜紀書房

バーニング
Apr 15, 2023

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亜紀書房が「となりの国のものがたり」シリーズで刊行している小説は意識的に継続して読んでいるが、約2年前に刊行された本書も非常に優れた短編集だった。いい意味で、このシリーズは本当に何なんだと思わせるほど力のある作家が書く、力のある小説が揃っているが、本書もご多分に漏れず、安心して読める一冊である。

11編収められた短編集で、10ページほどの掌編(「これが私たちの愛なんだってば」や「歴史」)もあれば、ドラゴンが登場する二部作のファンタジーも収められていると思いきや、スアと呼ばれる人型ロボットが人間の生活に馴染んだ未来社会におけるロボット差別を描いた「スア」など、ジャンルも幅広い。

以上のように様々な表象をこの作家は描いているが、何を書きたいかはあとがきで述べている作家の言葉を見れば少し分かるかもしれない。

言葉を発するたびに傷つくけれど、それでも言葉を手渡す。和解や幸福や慰めのためではない。 なぜ共にあることが不可能なのかを私は正確に知りたい。お互いのどんな部分に対して無知だったのか、どんなミスを犯したのか、どうすれば同じ誤解や失敗をくり返さずに済むのかを詳しく語り合い、恥ずかしそうに書き留め、長いこと覚えていたい。共にあることを夢見る人たちは、私たちが最後ではないはずだから。
(「あとがき」、p.335)

本書はそれぞれの短編に登場する人物はそう多くない。あえて少なく設定されている。その少ない人々が、深く内省をし、同時に密度の濃い言葉の交換を行う。それは対話と呼べるようなきれいなものではなく、どちらかというと「分かり合えなさ」を確認する作業にもなっていく。だから「言葉を発するたびに傷つく」主人公が多く登場する。

表題作「小さな心の同好会」の私もそうだ。詩や小説を書くのを趣味にしている私は、母親同士で本を作る企画に参加していた。日本風には同人サークルとも言ってよいようなそのメンバーにはいろいろな母親がいて(職業的には出版業界が多い)、様々な文章を書く。その本の編集作業の終盤、サークルメンバーでもありプロのイラストレーターであるソビンの名前をどのように扱うか、苦悩していた。

読み終えてみればなんだ小さな悩みだったじゃん、と言えるような結末に見える。傷というほどのものではなかったのでは、と。でもそれは全部終わったからこそ分かる結果論であり、趣味で物を書く私と、職業にしているソビンとの間にあるわだかまりのようなものを短い中で丁寧に浮かび上がらせているのが良い。簡単な言葉で終わらせず、逡巡し、最後は言葉を伝える主人公の勇気が、儚いようにも見えるがとても美しいと思った。

続く「スンヘとミオ」は、いわばイデオロギーの異なるレズビアンの共同生活(とのそ困難さ)をこちらも丁寧に描いている。小説ではレズビアンであることをクローズにしており、ニートの経験もあるスンヘの目線で進んでゆくが、作家はどちらの目線にも立たない。レズビアンであることを公言し、そのクィア性を引き受けながら一人の職業人として生きるミオは現代的な女性だが、ミオの生き方「だけ」が正しい生き方ではないからだ。

そのスンヘが始めたベビーシッターの仕事を通して、ミオとの対立が生じる。子どもを特に望んでないミオは、子どもに関わる仕事をしたいと希望し、実際に始めたスンヘに対して苛立ちを隠さない。それまでか、イホという男の子の前に現われて、アウティングを行う。恋人が行うこととは思えないが、イデオロギーの相違がこうした行為につながるのか、とも思わせられる。

上手いなと思ったのは、ここでイホとイホの母親を完全な第三者として書くのではなく、スンヘとミオとの関係をつなぐ重要な存在として描くことだ。レズビアンが社会に存在しているとはどういうことなのか。そうした問いをナチュラルに、かつドラマチックに表現してみせるのが作家の凄みである。

さらに続く「四十三」も非常に好きな小説で、これは中年期に差し掛かった元姉妹(ジェギョンとジェユン)と死期が近づく母親を交えた3人の物語だ。「元」と書いたのは、妹ジェユンは性別適合手術を行ったFtMであり、もはや妹ではないからだ。ここにも一種のイデオロギーの相違が見える。おそらくストレートの姉には、トランスジェンダーの妹がなぜ性別適合手術まで行うのかが理解できない。逆に妹は、それをやらなければ自分ではないと思っている。「失っちゃう以前の問題」(p.58)だからだ。

心の底から人間に没頭したことがなかった」(p.73)姉ジェギョンは、性別適合手術をする妹や、がん細胞が身体を蝕む母という、身体が変容してゆく二人を同時に見守ることになる。中年期に差し掛かり、仕事でも少しつまづくことがあったジェギョンは、身近な家族を見守るという「姉」の役割が実は非常に意味のあるものだったのではないかと悟るようになってゆく。「永遠にわからないままなんだろう」(p.75)という素朴な内省が、心に響くリアリティを持っている。わからなくてもそばにいることの意味を、作家は力強く書いているからだ。

このほかにも性被害を受けた会社の後輩から相談を受け、逡巡したのちに行動に移す話を書いた「ピクルス」や、前述したロボット差別を描いた「スア」など、身近な他者の傷つきをいかに引き受けるのかといった重いテーマを、繊細かつ丁寧に扱っていて読み応えがあった。「スア」は中性的に割り当てられているロボットであるはずなのに、見た目が明らかに女性であることが引き起こす差別と暴力の恐ろしさを目の当たりにする主人公の戸惑いが、強く印象に残る。

自分の傷はもとより、他者の傷を引き受けながら生きていくことは容易ではない。でもそうしなければならないと思う瞬間が、多くの人生には宿っているのではないか。その上で、言葉を通じて傷を克服することがどこまで可能なのかを11もの短編を通じて探っているように見えた。言葉こそ、人間に託された特徴的な手段の一つに違いないから。

[2023.4.15]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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