ちくま学芸からシリーズとして刊行されている中井久夫コレクションはこれまで何冊か読んできていて、本格的な論考や研究というよりはどれも中井らしい視点のエッセイが詰まっており単純に読み物として面白いなと思ってきていた。本作はどちらかというと面白い読み物というよりは(面白いことに変わりはないが、それ以上に)現場での臨床や家族など身近な人が支援をする際に役立つようなTipsやアプローチが詰まっている一冊になっているなと思う。
「世に棲む患者」とタイトルに振られているが、この表題エッセイと「働く患者」はセットとして読まれるべきだろう。入院しながら「働く患者」も存在はするが、多くは「世に棲む」ことと「働く」ことと、しかし「患者である」ことを両立させている。「患者」と「非患者」という表現を中井は用いている(p.53など)が、「非患者」はこまめに休憩を入れながら労働しているのに対し、「患者」は「きめ細かに休息を織り込んだ労働は苦手のようだ」(p.55)と表現している。休息が不得手なので働けない、だからこそ「患者」なのであるということだ。
ゆえに治療にあたっては無理に働かせてはいけないし、労働が継続できるような条件を模索することだとしている。これはおそらく現代で言うところの「職場のメンタルヘルス」的な側面として見ることもできるだろう。その意味では、現代は「患者」と「非患者」の中間的存在が指摘されていいようにも思う。もっともその中間的な人は何らかの形で病みつつあるのならば「非患者」とは区別して扱った方がいいのだろうと思う。心理学の世界でクライアントという言葉を用いるのも、「患者」というラベリングをしてクライアントに対して過剰なプレッシャーを与えないせいかもしれない。
その後は統合失調症や境界例に対するエッセイの他、中井にしては珍しく(おそらく)アルコール依存症についてのエッセイも収められている。後半に収録の「医療における人間関係」という長めのエッセイ(講演録?)と「医師・患者関係における陥穽」には、最初に書いたように精神科周辺の支援者に対するTipsが多い。
「医療における人間関係」ではたとえば家族との時間をいかにセッティングするか。家族は当事者である患者の身近な存在であるが、病院の中で家族と深く関わる時間は、特に患者が一度入院してしまうと少ないかもしれない。そのため、患者を家族が見捨てないためにも、家族との時間を作り、医師が知らない患者の世界を知ろうとする必要がある。そのための話術であったり待合室や診察室の工夫については、中井らしいなと思う。
また、「医師・患者関係における陥穽」では先ほど少し触れたラベリングの問題について、次のように中井は書いている。
診断ということは”レッテルを貼る”ことだとされ、マイナスの方を強調されがちだが決してそうではなく、ただ〇〇秒であってそれ以外でなく、かくかくの程度であってそれ以上ではなく見通しはこうだという限界づけが重要である。
(p.273)
専門家の態度としては非常に誠実だと思う。不必要に煽ったり、逆に過小評価するような医師も一部にはいる一方、患者に寄り添うとはまずこうした態度を持って接することなのだなと改めて感じられた。そしてこれは、支援者であっても必要なスキルであるのだろう。
[2020.7.15]