現在刊行されている三宅の著書の中では最新作が本書。少し前に紹介したデビュー作と同じように、友達に話しかけるようなテンションで小説の読み方を紹介していく。
今回紹介されている本は『グレート・ギャッツビー』や『老人と海』、あるいは『カラマーゾフの兄弟』や『若草物語』といった西洋の古典に加え、漱石の『門』や芥川の『羅生門』といった日本の近代文学を織り混ぜつつ、綿矢りさや村上春樹も読解しつつ、ラストには『源氏物語』を持ってくるという、特定の時代やジャンルに囚われない自由さがあるのがよい。名作小説、とタイトルに名打っているのに俵万智の『サラダ記念日』も入るのはいい意味で笑ってしまった。
こうやって縦横無尽にさまざまな小説を横断するが、その中で三宅が伝えようとしているのは小説には読み方があるということだ。特に古典となるような小説は批評家による解釈合戦や研究者による文学研究が多々積み重なっており、これといった唯一解が存在するわけではない。つまり、こういう風に読めばこういう読み方ができるかもよ、という議論や探求の積み重ねを三宅は提供している。あとがきにも書いているが大学院の修士課程で彼女が学んできたエッセンスが多々組み込まれているようで、カジュアルなノリの文体の中に骨太な議論が入ってくるのが今回も面白い。
本書ではまず最初に小説の分かりづらさについて紹介している。自己啓発本のタイトルと比べると小説のタイトルはわかりづらいものが多い。ライトノベルは例外だとも述べているが、例えば先ほど挙げた漱石の『門』の場合、たった一文字しかないタイトルなので中身を予測しようがないのである。
ただ、だからこそ小説の面白さがあるのだと三宅は述べている。「門」とはそもそもどういった意味を持つのか、作中の中で「門」はどのような存在であるのか、そもそも漱石は小説の中で何を書こうとしていて(主題)、それと「門」というタイトルはいかにして関係するのか、などなど。不親切であるがゆえに奥行きがある、想像をかき立てられる面白さがあるのは確かだろう。
個別の小説の読解にあたっても、他の小説の読みに応用できる手法を提案している。例えば『老人と海』については、なぜシンプルな筋で短いストーリーなのに長年に渡って評価されてきたのか、その理由を丁寧にたどる中で、「文章によって表現される」小説だからこその魅力や醍醐味を語る。
『源氏物語』については1000年以上積み上げられてきた解釈合戦を読む面白さを伝える中で、解釈からテキストに入ることでより面白く小説を読めるはずだと提案する。それぞれの提案が具体的かつ実践的で、前述したように他の小説にも応用可能なのは古典のガイダンスとしても、あるいは小説の読み方を知りたいという読者にとっても利益が大きい。
個人的に一番共感したのは、『カラマーゾフの兄弟』について紹介するなかであらすじを先に読んでおくことだ、と断言している点だ。ドストエフスキーが典型だが、大長編かつ登場人物が多い(かつ、名前がややこしい)場合はあらかじめあらすじを叩きこんでおいたほうが小説をじっくり楽しめる。
多くの翻訳小説には訳者のあとがきや解説が付属してあるので、そちらから読んで本編に入ることも多い。古典は何度読んでも面白いし、ネタバレしていても面白い。ただその面白ささよりも先に長さや難解さがつきまとうのは苦労するので、あらすじを把握しておいたほうがよい小説というのはいくつも存在する。
小説の読み方は自由なので、いろいろあってよい。どの読み方が唯一正しいなんてことはない。人の書いた解説や解釈を読みながら、自分で改めて受け止める。そうした二重三重の味わいがあるジャンルなのは間違いないだろう。
[2021.10.25]