戦争、軍政、革命、そしてレジリエンス――斎藤真理子(2022)『韓国文学の中心にあるもの』イースト・プレス

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本書を読みながら素朴に感じたのは、ああこれは斎藤真理子だから書けた一冊なんだなということと、本書がイースト・プレスから出版されているという驚きである。後者については、近年多くの出版社が韓国関係の本を売り出しているのでそういった文脈ゆえの驚きでしかないが、前者については斎藤真理子のこれまでの仕事量の裏付けがしっかりなされている安心感が「まえがき」を読む段階で強く感じられる。

少し引用してみる。

一つ大それた希望を言うなら、韓国文学を一つの有用な視点として、自分の生きている世界を俯瞰し、社会や歴史について考える助けにしてもらえたらありがたい。私自身の場合でいえば、この本を書く作業は、自分の子供時代から二十代にあたる冷戦時代を見つめ直すことに近かった。日本の歴史は、朝鮮半島の歴史を対照させて見るときに生々しい奥行きを持つ。この奥行きを意識することは、日本で生きる一人ひとりにとって、必ず役に立つときがある。(p.5)

海外文学には、それが書かれた地域の人々の思いの蓄積が表れている。隣国でもあり、かつて日本が植民地にした土地でもある韓国の文学は、日本に生きる私たちを最も近くから励まし、また省みさせてくれる存在だ。それを受け止めるための読書案内として、本書を使っていただけたらと思う。(p.6)

本書が読者にとってやさしくできているのは、本書に登場する文献の多くに邦訳が存在することだ(「まえがき」において意識的にそのようにしたと著者は述べている)。そのため、まさに巻末の文献リストを活用しながらすぐれた読書案内として本書を活用することができる。『こびとが打ち上げた小さなボール』や『広場』など、関連する内容について一章分を割くことで詳細に触れられている小説もあるが、多くの小説や詩集については一部の引用や紹介にとどまっており、まさに道先案内人としての役割を斎藤真理子は(おそらく意識的に)果たしている。

これも意識的な構成のようだが、本書は現代から始まり、セウォル号事件やIMF危機、光州事件などを経由して朝鮮戦争、そして1945年へとさかのぼっていく構成をとっている。そのため、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』という現代の日本の読者に最もなじみ深い小説から記述を始めながら、キム・エラン、ファン・ジョンウン、パク・ミンギュ、ハン・ガンや先ほど挙げた二冊などを経由しつつ、韓国という国家の原点でもある戦争へとさかのぼっていく。

戦争があったから、南北分断が起きた。そして冷戦構造の中で朝鮮戦争が勃発する。その後の軍事政権のつらい記憶を経て革命を果たすが経済危機を経験し、多くの社会的な歪みを残した状態で現代の韓国という国家や社会が存在している。そしてそこには日本との関係性への目配りが欠かせない。

『こびとが打ち上げた小さなボール』のタイトルにもあるように、名もなき小さき人たちの声を掬い取ってきたのが韓国の文学の特徴だと言える。小説であったり、詩であったり、あるいは最近だと『目の眩むような国家たち』といったエッセイ集のように、様々な形の文学がそうした声を受け止めてきた。

現代を代表する作家であり詩人でもあるハン・ガンの『菜食主義者』と『回復する人間』が本書の終盤で繰り返し引用されている。彼女こそまさに韓国に生きる名もなき人びとの声と、傷、そしてその回復を祈るように表現して、世界に発信した人物だ。

本書の終章で著者はこう述べている。

今まで見てきた韓国の小説の多くが、歴史が負った傷をさまざまな角度から描いている。または個人の傷に潜む歴史の影を暴いている。それだけ満身創痍の歴史だったともいえるし、韓国の文学者たちがそれを描くことを大事にしているからでもある。そして何より、歴史を見つめるのは現在と未来のためだという感覚を多くの作家が共有している。それは、セウォル号事件を扱った第2章でも取り上げた通り、次世代への責任感の表れでもあるだろう。
「私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれたきたことだけなのに」
ハン・ガンのこの言葉は、一人一人の人間について言われた言葉でもあり、また社会や歴史そのものを指しているのかもしれない。世の中は初めから欠陥だらけである。歴史も傷だらけである。それを、一人が一人分だけ、一生かけて、修復に修復を重ねていきていく。(p.293)

ハン・ガンの小説は、多くの人々の暴力や加害、それらによって生じる傷を多く描写している。だが『回復する人間』の中で描いたのは傷だけでなく、回復でもあった。レジリエンスと言ってもいいかもしれない。弱さの中にある強さを、ハン・ガンは丹念に掬い取ろうとしてきた。

軍政期に起こったいくつかのデモや革命、そして近年のキャンドル革命など、歴史が刻んできた傷を跳ね返す力を韓国社会が持っていることは確かだろう(そうした力を持たなければ生き延びれなかったとも言える)。巨大なものに対して抗い、立ち向かう力や、小さいものたちの悲しみに寄り添う力は、つい最近梨泰院で発生した悲劇へのリアクションを見ていても感じられる。

歴史的に傷を多く抱える社会だからこそ、そこで生きている人びとの弱さと強さを長い目で見つめることが、そのまま韓国文学の歴史を読むことにもつながっているのかもしれない。韓国文学はまさに著者の言うように「最も近くから励まし、また省みさせてくれる存在」であり、多くの日本の読者がその存在価値や意義を実感しているはずだ。こうした一連の流れが、文学を通した現代の日韓関係なのだと、改めて強く思う。

[2022.11.7]

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バーニング
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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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