暴力に支配されていく初恋の記録 ――林奕含(2019)『房思琪の初恋の楽園』(訳)泉京鹿、白水社

バーニング
3 min readJul 10, 2020

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昨年訳が刊行された際に日本でも非常に話題になっていたし、本国台湾でも本作がデビュー作となる作家の自殺や内容のインパクトと相まって非常に話題になったことが伝わってくる一冊だった。ある意味センセーショナルなほど台湾では社会に影響を与えた一冊となったようだが、そういった小説をバイアスなしに読むこと、例えばこの小説で書かれていることが事実なのかどうかと意識しながら読んでしまうことを避けるのはなかなかに難しいとも感じた。だからいろいろ考えたゆえの自分の選択として、しばらく時間を置いてからこの小説と向き合うことにした。

読み終えた率直に感じたのは、内容面では圧倒的に絶望的なほどに残酷な暴力性に満ちた物語だと受け止めた。フィクションか事実かというより、作家がフィクションという形を借りて教師と生徒という上下関係を利用した性暴力の残酷さを、そしてその暴力性に身体も心もゆだねてしまう少女、房思琪の心境を、その両方ともを丹念に書こうとしたのだろうと受け止めた。

だからなのか、内容や描写の過酷さや暴力性に比してとても淡々とした、落ち着いた筆致が続いていく。書かれている内容があまりにも生々しく、あまりにも加害性に満ちていて、文章は鋭利なナイフのような切れ味を持って展開される。この切れ味は一瞬のものではなく、むしろじわりじわりと刺さってくるような、深い傷を生み出すようなものでもある。数々の身体的、心理的な痛みと、その痛みを利用したつながり。単純に言えば危険な関係と言うべきなのだろうが、そうした言葉すら薄っぺらく思えるほど、この小説に描かれる教師と生徒の関係性をうまく表現できない。

付け加えて、この関係性は破綻を前提としている。主人公の少女の日記という体裁をとったメタフィクションとも言える形式をとっているが、この関係性がいつ暗転して完全に壊れてしまうのか、その壊れた先に少女は果たして生きているのだろうか・・・。

こうした明らかにハッピーエンドを予測させない中で、房思琪と劉怡婷の関係は揺るがない上に、この二人とは少し年上の伊紋姉さんを交えた文学を通じた百合(恋愛関係ではないがとても親密な関係として)が数少ない、ほとんど唯一の希望として描かれていた。この百合の強固さが、房思琪を暴力の前から守ることには簡単につながらないし、伊紋もまたDVという形で夫からの継続的な暴力で心身共に追い込まれたキャラクターとして描かれる。だからこの百合関係は、彼女たちの幸福が断念されるプロセスとも重なっていて切実なのだ。

ただ、それでも彼女がひとりでなくてよかったと思いたかった。それこそが、作家林奕含が男女間の性暴力やその圧倒的な加害性を前にした時の数少ないよりどころであってほしい、男性性から逃避するためのアジールであってほしいと思ったからこそ女性同士三人の関係を挿入したのではなかったか。現実の過酷さはもっと複雑で多様だろうけれど、この小説が単なる告発の書としてではなく、改めて人と人とのつながりの強固さ、その幸福さをも同時に希求していたことを覚えておきたいと思う。房思琪たち3人と、いまはもうこの世にはいない林奕含という作家の存在の記憶を。

[2020.7.10]

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Written by バーニング

90年生まれ。アイコンは@koyomi_matsubaさんデザイン。連絡先:burningsan@gmail.com

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